高校卒業まで山間の温泉町で育った。



どっぷりと昭和の時代だ。



母と2歳上の姉との3人暮らし。



母が俺を妊娠中、親父は愛人を連れて姿を消した。



病的な女たらしだったそうだが、俺にとっては最初からいない人だ。



母に似て勝ち気だった姉とは対照的に、俺は気が弱くて極端な引っ込み思案。



圧倒的な女社会の中、いつも女2人の後を大人しくついて行く子供だった。






家族3人で住んでいたのは温泉街に近い小さなアパート。



母が勤めていた温泉旅館の経営者がオーナーだった。



そのせいか住人の半分くらいは母の同僚で、社員寮みたいな感じだった。






アパートの敷地に小さな立ち寄り湯があった。



温泉を引いた銭湯だ。



看板を出さず、ガイドにも載っていないから、温泉街の客はまず来ない。



10人も入れば満員で、利用者の大半はアパートの住人か近所の人だった。



今から思えば薄暗くて小汚い所だが、安いし、内湯代わりに使う人も多かった。






幼い俺は母や姉に連れられ、当たり前のように女湯に入ったものだったが、小学校に上がると、女湯に入るのがなんとなく恥ずかしくなってくる。



たまにだが同じ学校の子と銭湯で顔を合わせるのも嫌だった。



俺を見ると女子は露骨に嫌な顔をするか、「やだぁ」という感じでクスクス笑うし、男子は「お前、まだ女湯に入ってるの?」と馬鹿にしたような視線を向ける。





だったら男湯に入ればいいのだが、一緒に行った母にどうしても、「ボク、男湯に入る」の一言が言えない。



一度、勇気を振り絞って1人で銭湯に行き男湯に入ろうとしたが、番台のおばさんに笑顔で、「龍ちゃん(俺)、あんたはこっちでしょ」と言われ、黙って女湯に移った。



情けないが、そんな子供だった。






母の勤務時間の都合で、俺が銭湯に行くのはたいてい夜遅い時間帯。



女湯の客は、ほとんどが奥さん連中だった。



年寄りは朝や日中、子供たちは夕方の早い時間に行くものだったらしい。



姉御肌で世話好きな母は職場や近所でも慕われていたようで、俺たちが入っていくと見知った奥さんたちが、「おっ、来たね」と迎えてくれる。



母は同僚やご近所さんとお喋りを始め、姉も「オバちゃん、こんばんは」と愛想がいい。



もっとも姉は、友達が銭湯にいる早い時間帯に1人で行くことが多かったが。






ところが俺はといえば、愛想を振りまくどころか挨拶もできない子供だった。



奥さんたちに声をかけられても、黙ったまま俯いて掛かり湯をするだけ。



もともと人と接するのがすこぶる苦手だったし、その後のことを考えたら、彼女らの嬉しそうな顔を見るたびに気が重くなった。



写真を見る限り、当時の俺は瞳のぱっちりしたおかっぱ頭の女の子みたいな風貌で、よく奥さんたちから冗談半分で、「龍ちゃんは美人さんだね~」と言われた。



番台のおばさんが俺を“女湯要員”にカウントしていたのは、外見のせいもあったと思う。






そんな俺が湯船に入ると、いつも待ちかねたように数人のおばさんがそばに来る。



女湯の客には20代の若奥さんもいれば、60代くらいの婆さんもいる。



俺から見ればどれもおばさんだが、近づいて来るのは30代が多かったように思う。






大人しく湯に浸かっていると、隣に来た奥さんが俺の股間に手を伸ばし、小さな突起物をさらりと撫でる。



続いて別の奥さん、さらに別の奥さんも。



いつからかは覚えていない。



とにかく銭湯に行くたびだった。



奥さんたちは順番にやって来ては、俺の小さな性器・・・というより排泄器をまず指の腹で触れ、指先で摘み、手のひらで撫で、包み込むように握る。



さらに小さな玉袋を揉み上げたり、細い竿の根元を指先でクリクリ押したり。



子供のペニスの感触が楽しいのか、とにかく弄ってくる。



湯船を出て頭と体を洗い、上がる前にもう一度浸かると、さっきとは別の奥さんが何人か近寄ってきて、やはり俺の股間を弄る。






1回の入浴で2度湯船に浸かって、いつも合わせて5~6人から悪戯された。



もちろん恥ずかしかったし、触られ方によっては痛いこともあった。



それに小学生にもなれば、“お風呂じゃ普通、こんなことしない”くらい分かる。



それでも気が弱い俺は、「やめて」と言えなかった。



母も姉も気付いていないのか何も言わず、俺も助けを求めたりしなかった。



温泉の湯は少し濁っていて、湯船の底の方はぼんやりとしか見えなかったが、周りの客は俺が何をされているか分からないはずがなかったと思う。



なのに誰も何も言わない。



俺たち親子を除く全員が共犯のような感じだった。



考えてみれば、周りの客はほとんどが俺に悪戯する側だったからかもしれない。






触られて、気持ち良くなかったと言えば嘘になる。



フワフワしてポーッとなる感じ。



ただ、まだ性的に未成熟だったし、快感と呼ぶにはあまりに淡い感覚だった。



たまに勃起することもあった。



といっても、俺だけかもしれないが、小さい頃の勃起は必ずしも性的興奮が伴うものじゃなかったように思う。



小便をしたくなって硬くなることもあるし、極端な話、何が原因か分からないままペニスが上を向くことだってある。



反対に、稀に同じクラスの女子が浴場に入ってきたりするとドキドキしたが、だからといって股間が反応するわけでもなかった。






たまたま湯船の中で勃起すると、触っている奥さんは決まって大喜びする。



小声で、「あらあら、硬くなったね~」なんて言いながらさらに弄ぶし、別のおばさんも手を伸ばしてきて、「どれどれ、あらほんと~」という感じだった。






気が進まない銭湯通いに変化が訪れたのは、小学4年生の終わりくらいだったと思う。



“くらい”というのは、あまり自覚しないまま徐々に変わっていったからだ。



当時、女湯に男子が入れる年齢制限はなかったように思う。



それでも田舎なりの社会常識として、低学年までならギリギリ許されても、10歳にもなってそれはおかしいだろう、という自覚はあった。



性格も極端に内気だし、今なら発達障害を抱えていると思われたかもしれない。



ひと足先に思春期を迎えた姉も、「あんた、いつまで女湯入ってんのよ」とたまに呆れたように言ったものだ。



もっとも、だからと言って怒るわけでもない。



母に至っては「龍は奥さん連中のアイドルだしね」と、無頓着もいいところだった。






相変わらず家でも外でも自己主張できない俺だったが、一言「今日から男湯に入る」と宣言すれば、誰も文句をつけるはずがない。



そうしなかったのは、考えたことを口に出す勇気がなかったのもあるが、女湯に入るのが少しずつ楽しみになってきたためでもあった。



まず、股間を触られたら、それまでの淡い気持ちよさに混じって、時折刺すような快感に襲わるようになった。



それが何かは理解できなかったが。



女の裸にも今までと違う興味が出てきた。



銭湯にいたのはおばさんが中心で、トドみたいに太った婆さんもいたが、それなりに体形を保った人もいる。



プルプル揺れるオッパイを見ると、それまでとは違う興奮のようなものを覚えた。



性的な興奮と勃起が連動するようになったのも、この頃だったと思う。



若い女性は内湯を使う人が多いらしく、あまり銭湯では見かけなかったが、それでもたまに町内の高校生のお姉さんとかが来ると、すごく嬉しくなった。






体にも変化が訪れた。



年の割に小柄で相変わらず女の子のような外見だったが、股間のモノは俺が自覚しないまま順調に発育していたらしい。



ある日、何ヶ月かぶりに湯船で一緒になった同じアパートの奥さんが、俺の股ぐらを触りながら、感心したように言った。






「龍ちゃん、あんたのコレ、随分と立派になったんじゃない?」






その奥さんは山下さんという母の同僚の仲居さんで、当時30過ぎくらい。



色白のちょっとキレイな人で、少し太めだが胸やお尻はなかなか立派だ。



銭湯では俺に悪戯してくるが、普段は優しくて、密かなお気に入りだった。



それ以前も山下さんが風呂で近くに来ると何かドキドキしたが、この日は熟れた迫力ある肢体に、もっとはっきりと性欲みたいなものを感じ、触られるとすぐに勃起した。






俺の予想以上の発育ぶりに彼女も驚いたらしい。



触り方も最初は少し遠慮がちだったが、そのうち大胆になってきた。



玉を撫で回され、竿を掴まれると、いつもより鋭い快感が股間を貫く。



たまに感じるようになっていた気持ち良さをさらに増幅した感じだ。






「あっ・・・」






触られて声を漏らしたのは初めてだった。



もちろん、まだ声変わりもしていない。






「ん?気持ちいいの?」






少し目を見開いた山下さんは、宝物を見つけた子供のように嬉しそうな表情だ。






「う・・・うん・・・」






声を出すつもりはなかったから焦ったが、快感には勝てない。



俺は湯船の中でウットリしたまま、隣に座る山下さんの肩に頭をもたせかけた。



無性に甘えたくなったし、彼女なら甘えても許してくれるという思いがあった。



山下さんは片手で股間を弄りながら、もう一方の手で俺の頭を撫でてくれた。



視線の先、半透明の湯の中で大きな乳房が揺れている。



すごく魅力的に見えた。



俺は半ば無意識に手を伸ばし、小さな手のひらを大きな膨らみに添えてみる。



片手では掴みきれないボリューム。



想像したより柔らかかった。






「あらあら」






山下さんは驚いたような声を出したが、俺の手を払いのける素振りもない。



片手は相変わらず勃起したペニスを軽く握り、揉むように動かしている。



怒られないと分かった俺は大きなオッパイを揉み、先端を指で摘んでみた。



乳首を指先で弄っていると少しずつ硬くなるのが分かった。






「ふふふ・・・」






山下さんは優しい笑みを浮かべたまま、股間を握った手を前後に動かし始めた。



腰の奥から突き上げてくるような、これまでにない気持ち良さに襲われる。



のぼせと興奮で頭がクラクラし始めた時、一緒に来ていた母が向こうから呼んだ。






「龍~、そろそろ上がるよ~」






山下さんはすぐに俺から離れた。



俺は母に連れられ、大人しく風呂を出た。






ほんの数分間の出来事だったが、子供なりに幾つかのことを学んだ。



触られて気持ち良かったら、我慢せず声を出せば、奥さんはすごく喜ぶこと。



喜んだ奥さんが違う触り方をしたら、俺の方もさらに気持ち良くなること。



そして、お湯の中でオッパイを触っても怒られないこと。



帰り際に山下さんが囁いた、「龍ちゃん、またね」という言葉が耳に残っていた。



それからというもの、俺はなるべく1人で銭湯に行くようにした。






中学に上がった姉は、年頃なのか銭湯でなく内湯を使うことが多くなっていた。



母は、「ようやく最初の親離れだわね」と笑っていた。



普通なら、というか銭湯に行く同年代の男子はみんな夕方になると当たり前のように1人で来て、当たり前のように男湯に入って、友達とお喋りしたり、湯をかけ合って他の大人に怒られたりしていたんだろう。



だが俺は1人で行くときも遅い時間帯で、当たり前のように女湯に入った。



番台のおばさんも奥さんたちも普通に、「いらっしゃい」という感じだった。






山下さんとの一件以来、俺は女の裸体にかなりはっきり欲情するようになった。



たまに来る若いお姉さんはもちろん、母親より年上の40歳前後までがエロの対象。



もっと年長の人でも、スタイルが好みだと普通に勃起するようになった。



湯船で奥さんたちが触ってくるのも、いつの間にか少し楽しみになってきた。






<続く>