私は、ある事情で、高校を卒業後は実家から逃げるように家を出ました。
今はアルバイトで生計を立てながら、安いアパートで女の子の友達と共同生活して、声優を目指して専門学校に通ってます。
そのある事情は・・・今まで誰にも教えられず、ずっと心に封印していた事です。
忌まわしい過去の出来事なので、正直誰にも知られたくない気持ちもあります。
でも、ずっと心に封印し続けるのはもう辛くて限界です。
私を知らない誰かにだけでも告白すれば、気持ちも少しは楽になれるかな・・・?と思い、悩んだ挙げ句、投稿サイトを利用しようと思い立ち、ここを選び、意を決して告白します。
私の忌まわしい過去とは、血の繋がった実の父による、7年半に及ぶレイプです。
私の父は、小さな産婦人科の病院を営む産婦人科医です。
母は、私が幼い頃に離婚して私には母の記憶がありません。
離婚と言ってもほとんど駆け落ち同然で、父から逃げて行ったっと噂で何度か聞いた事があります。
私が物心ついた頃には、家族は父しかいませんでした。
私は父とずっと2人で生活して育ちました。
そして、私が10歳の時の、小学5年生の秋でした。
家で夜に入浴中に、初潮が来ました。
私はビックリしつつも大人になれた気分で嬉しくて、入浴を済ませた後、父に初潮が来たと伝えると父はとても喜んでいました。
その父の喜びが、忌まわしい意味を含んでいた事など知らず、私は無邪気に女の子の幸せを噛み締めてました。
それが、女の子の幸せの終わりである事。
そして私が女の子であるがゆえの不幸の始まりだなんて、思いもせずに・・・。
初潮を迎えたその日の夜中でした。
私は体の奥に、激痛を感じて目が覚めました。
私は昔から暗い場所が苦手で、当時は自分の部屋の灯りを点けっぱなしで寝るのが習慣だったので、その激痛の訳がすぐ分かりました。
私は就寝中に、父に襲われていたのです。
既に私は何も着ていない裸の状態にされていて、両脚を膝を折って広げられていて、父は荒々しく腰を前後に揺すってました。
ついさっき初潮を迎えたばかりの膣に、熱くて硬い、太くて長いものが入れられていて、父の腰の動きと共に、激痛が走る膣内を掻き乱してました。
私は逃れようとして身を起こした時、自分のアソコの様子が目に飛び込んできました。
私の膣内を荒らしていた硬くて熱いものは、父のオチンチンでした。
とても長く、太く見えました。
真っ赤に血で染まったアソコの入り口から、ラップみたいな薄いゴムを被ったオチンチンが、出入りしてました。
まだ私は、学校で性教育の授業も受けてない頃です。
セックスの仕組みや、やり方や、オチンチンが被ったゴムの意味とか、何も知らない時期です。
ましてや、それが人間の生殖行為だなんて知りませんでした。
処女、セックス、オナニー、レイプ・・・。
そんな卑猥な言葉など、全く知らないうちに、僅か10歳で処女を奪われました。
私の膣内に、なぜオチンチンを入れて、父が何をしているのか、自分が何をされているのか、全く理解出来ませんでした。
私は、恥ずかしさと激痛で頭が混乱しました。
「痛い!痛い!パパやめて!」
私はそう叫びました。
父に平手打ちをされました。
「初潮を迎えたって事は、セックス出来る体になったって事だ。この時を何年待っていたと思ってるんだ!何のために男手ひとつでお前を育ててきたと思ってるんだ!」
父はそんな事を言って、私の体に覆い被さってきました。
セックスという言葉を、この時私は初めて聞きました。
父の体は重くて私の力ではどうにもならず、体が壊れてしまいそうでした。
「キツいぞぉ、締まって気持ち良いぞぉ、靖子!」
父が悪魔に見えました。
いつもの優しい父ではありませんでした。
でも、これが父の本来の姿だったのです。
その以前から、私はエッチな事を想像すると、乳首がパンパンになって、ムズムズする感覚になると気付いてましたが、それと同じ事が私の体に起きていました。
悲しいくらいに、私の体は正直に反応していました。
父は突如、私を強く抱き締めながら動きを止めました。
膣内に入ったオチンチンは、私の体を貫くみたいに押し入って来ました。
父は、「あぁっ、あぁっ」と唸り始めました。
しばらく唸り続けた後、ようやく私から離れました。
オチンチンが被ったゴムの先端に、オシッコとは明らかに違う、濁った液体が溜まってました。
「今日はこれくらいでお終いにしてやる。明日からは毎晩、俺の竿磨きの特訓だからな。親孝行のつもりで奉仕しろ」
父はそう言って、全裸のままの私を放置して、部屋から出て行きました。
私は訳が分からなくて、怖くて歯がガチガチ鳴るくらい震えて泣いてました。
翌日からは、ほぼ毎晩父にレイプされました。
自分が恥ずかしい行為をさせられているなんて、誰かに打ち明けるなど出来る訳ありませんでした。
学校ではいつも通り明るく振る舞い、夜は父にレイプされる。
そんな日が続きました。
ただ訳も分からず辛いだけだったレイプも、次第に快感を覚えるようになりました。
日を追う毎に、少しずつ快感は増していくように感じました。
いつしか私は、抵抗する事も諦め、父のオモチャになり果てました。
無理矢理に快感を感じさせられる、屈辱の日々でした。
父は産婦人科医です。
安全日を確認するためだったのでしょう。
私の生理の周期を把握するため、生理が来たら報告するよう義務付けられました。
そして生理の予定が近付くと、父にゴムを着けずに犯されました。
ゴムを着けている時は、ゴムの先端に溜まる液体を、この時は膣内に、直に何度も流し込まれました。
その液体が何なのか。
それがどういう行為なのか、まだ私は理解していませんでした。
なぜこんな酷い事をするのか、父に聞いても答えてくれません。
「優子(私の母)みたいに逃げられると思うなよ。キツキツのマンコがユルユルになるまで犯してやる」と罵られました。
毎晩無理矢理に裸にされ、罵られながら、平手打ちされながら犯され続けました。
そしてある日、最初に犯された夜に知った、セックスという言葉が気になって、辞典で調べました。
いわゆる生殖行為である事を知り、愕然としました。
ゴムを着けていない時は、赤ちゃんが出来る種を自分の体の中に植え付けられているんだって、悟りました。
このままでは私はいずれ父の赤ちゃんを宿してしまう・・・。
屈辱と不安で、私は地獄に突き落とされた気分でした。
そして、忘れもしないあの日。
クリスマスイブの夜でした。
まだ10歳だというのに、既に軽く百回を越すセックスを経験していました。
初めて、私は絶頂を知りました。
もう★んでも構わないって思ってしまうくらい、強烈な快感でした。
力が抜けきって、失禁までしてしまいました。
あの快感は、子供だった私にはあまりにも強烈過ぎました。
その絶頂を機に、私は快感の虜になりました。
学校で授業に使う縦笛を使って、学校のトイレに籠もって何回もアソコに挿入しました。
レイプから始まった近親相姦も、絶頂を知ってからは、レイプから逃れたい自分と、絶頂を期待する自分が、常に胸の中で同居していました。
そして私が11歳になった誕生日の3月22日の夜でした。
私の膣の中でゴムが裂けて、生理2週間後というタイミングで、膣の中で射精されてしまいました。
おそらくそれがきっかけで、遂に恐れていた受胎をしてしまいました。
近親相姦のレイプによる、小学5年生、11歳の妊娠経験は、★にたいくらいの屈辱でした。
生理が来ない事から妊娠が分かると、すぐに父の手で堕胎させられました。
堕胎したとはいえ、一度妊娠を経験してからは、それが原因か分からないけど、急に私の体が大人びてきました。
堕胎して2~3ヶ月で、バストは急にCカップに膨らみ、小学校を卒業する頃にはEカップにブラを新調です。
早熟過ぎる体型が恥ずかしくて、コンプレックスになりました。
その間も父のレイプは続き、毎晩のように絶頂を味わいました。
中学生になった頃には、顔は童顔のままなのに、体つきは完全な大人でした。
好きな男子も出来て、それなりに仲良くなれたし告白もされましたが、近親相姦漬けの毎日を過ごす自分が汚らわしくて、恋愛などする気にすらなれませんでした。
そして、レイプされ続けた中学時代。
2年生の時は、父はたまに危険日であるにも関わらず、膣内で避妊しないまま射精されました。
その年は、1年間で3回も妊娠中絶しました。
世の中には、赤ちゃんが出来なくて悩んでいる女性も大勢いるのに、私は13歳にしてもう4度も妊娠です。
惨めでした。
元々私は華奢な体格で、手足は細く、ウエストもコーラの瓶みたいにくびれてるのに、中学3年になった頃には胸だけ異常に豊満になりました。
早過ぎた性交渉、早過ぎた度重なる妊娠、そしてこの頃には既に千回を越していたセックス回数。
成長期のうちにこれだけの経験をしてしまった影響かも知れませんが、既にGカップのブラですらキツくなっていた私は、制服のセーラー服の胸元がパツパツで、異様に突き出してました。
ちょうどその頃、休みの日に新宿で雑誌のカメラマンにお願いされて、スナップ写真を数枚撮られました。
それがある週刊誌の『街で見かけたS級美少女撫子』という特集ページに、何人もの女性のスナップ写真が掲載されている中、私が特に一際大きく載ってしまいました。
“ジュニア離れの容姿と美顔”とか“美バスト、美脚、美貌、三拍子揃ったプラチナガール”とか書かれました。
それが学校で話題になってしまいました。
ちやほやされるのではなく、蔑みの眼差しで見られました。
恥ずかしかったし、男子からは『牛女』とか『奇形児』と冷やかされ、やがて嫉妬からか女子からも、陰湿なイジメを受けるようになりました。
教室の机やノートに、異様にバストの大きさを強調した裸の絵を落書きされ、チェキで撮った私の写真の顔を切り取って、そこに貼られました。
クラスメートからも、父からも、私の人格を否定されたも同然でした。
私には頼る味方なんかいません。
そして一学期の半ば頃から、登校拒否をするようになりました。
でも私に逃げ場はありませんでした。
登校拒否をしている間は、ずっと自宅に裸で縛られて監禁され、昼も夜も父に毎日レイプされました。
イジメを理由に、2学期からは違う中学校に転校しました。
受験で頭を痛める時期です。
友達も出来ず、すっかり根暗になった私は、その中学校でもイジメられ、私の学校生活はメチャクチャになりました。
夜は毎晩父にイかされてメチャクチャにされました。
自分の日常は完全に壊れ果てました。
精神もボロボロでした。
自★すら本気で考えました。
でも、皮肉な事に、レイプによる絶頂への渇望が、自★を踏み留まらせました。
あの天国みたいな快感を、また味わいたい・・・。
私は、既に絶頂中毒になっていたのです。
高校生になると、中学時代とは逆に沢山の男子から親しくされました。
高校の生活は楽しかったですが、やはり恋愛はする気になれませんでした。
そして、高校2年生の7月。
下校中に歩いていたら痴漢に襲われ、近くの雑木林に捨てられていた廃車のマイクロバスの中に引きずり込まれ、名も分からない男に夜になるまでレイプされました。
避妊すらしてもらえず、数回膣内に射精され、しかも私は5回も絶頂まで達してしまいました。
1753回目のセックスは、近親相姦ではない初めてのセックスでした。
結局、レイプでしたが・・・。
その晩も父にレイプされました。
私の膣から、他人の精液が溢れてきたのを見た父は、私が誰かとセックスしたと悟りました。
激怒されました。
平手打ちを何度もされながらレイプされ、膣の中で射精されました。
父はいつも私を平手打ちします。
私はもうその平手打ちの痛みまで快感に感じるほど、壊れていました。
間もなく5度目の妊娠。
もう父の赤ちゃんか痴漢の赤ちゃんかなんて、分かりません。
妊娠4週目に、父に堕胎させられました。
汚れるだけ汚れきった私は、レイプされるためだけの女だって感じました。
やがて進路を決める時期になり、ようやく父から逃げ出すチャンスが訪れました。
私は、小学生の頃から夢だった声優を目指す事にしました。
そして、第一希望の専門学校に入学出来て、何とか父との生活にピリオドを打てました。
家を出る前の日の晩までレイプは続きましたが。
父とは、2096回セックスしてしまいました。
知らない痴漢によるレイプを含めると、2097回。
和姦なんて一度もありません。
それ以来、実家に帰ってません。
2度と戻る気もありませんし、当然父には私の住所を教えてません。
恋愛は、まだする気になりません。
セックスも、家を出てからはしてません。
絶頂中毒なので、オナニーで何とか凌いでいます。
レイプされ続けた日々は忘れたいのに、体はセックスを求めてしまい、苦しい日々です。
2度とレイプされたくない自分と、誰でも良いからまたレイプされて絶頂を味わいたい自分が、未だに胸の中に同居してます。
もう、正直セックスしたくて我慢出来ない状態です。
次にする2098回目のセックスは、生まれて初めての和姦であって欲しいです。
将来Iカップ声優がデビューしたら、それは私かも知れません。
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