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【熟女体験談】義母が「妻」に代わり、毎日のようにセックスしていた時の思い出話












先日、妻の49日の法要を無事に済ませました。



「妻」と書きましたが、「妻」は亡くなった(本来の)妻の母親で、戸籍の上では「義母」でした。



そういえば「義母」が「妻」に代わった日も(本来の妻の)



四十九日の法要の日だったなぁと思い出しましたので、思い出話を書いてみます。





今から25年前、僕が25歳の時に5歳年下(20歳)の(本来の)妻と結婚しました。



その時点で僕の両親はすでに他界しており比較的自由な立場だったのに対し、



妻は一人娘だったため、妻の実家で同居することになました。



いわゆる「マスオさん(僕自身は婿養子になっても良かったのですが、



妻が「僕の姓になりたい」と言ったため)」状態での結婚生活でした。



義父母ともに大変自分に良くしてくれましたし、



結婚して1年半で子宝にも恵まれ「家族って良いなぁ」と幸せに暮らしていました。



しかし、そんな幸せな日々が突然音を立てて崩れました。



















































子供(娘)が2歳になる直前のある日、



妻と義父が隣町の老舗人形店に雛人形を見に行った際、交通事故に遭いあっけなく他界してしまったのです。



正直あまりにも突然で、頭では「亡くなった」ということを理解していても全く実感が湧かず、



何となくフワフワした夢の中というか幻を見ている様な感じのまま日々を過ごしていました。



軽いうつ状態だったのかも知れません。



この間、役場の手続きとか保険の手続きとか車の廃車手続きとか、



いろいろな(普通に考えれば面倒な)ことをしていたのですが、全く記憶に残っておらず、



ただただ娘が悲しまない様に可能な限り一緒に居たということしか覚えていません。



そんな中で四十九日の法要を終えて家に戻り、



娘にお昼寝をさせようと寝かしつけているうちに、僕もうたた寝をしてしまったようでした。



小1時間経った頃だと思います、ふと目覚めた時、股間に違和感を感じました。



隣を見ると僕の腕枕で義母が寝ていて、



無意識のうちに僕のオチンチンをまさぐっている感じで、僕のオチンチンはフル勃起状態でした。



「お義母さん、そりゃマズイでしょ」とビックリ思いながらも、



ズボン越しとは言え、久々に感じる女性の手のぬくもりがフル勃起のオチンチンに心地よく、



自分からこの状態を止めてしまうのが勿体無いと思い、もう一度義母が寝ているのを確認し



「お義母さんが起きるまで寝ている振りをしよう」と目をつぶって感触を楽しむことにしました。



「なんか久々にオチンチンが勃起してる感じだな、そう言えば(本来の妻が)亡くなってから1度も射精してないもんなぁ」



と、突然の交通事故で望んでいないのに禁欲生活になってしまったことを考えていると、



ふと「そういえばお義母さんも40代の女盛りだし、やっぱり寂しいんだよなぁ。



それで寝ているうちにオチンチンに手が伸びちゃってるんだろうなぁ」との思いが頭をよぎりました。



「僕も寝た振りしておっぱい触っちゃおうかな」と薄目を開けてゆっくりと手を伸ばし



(服の上からですが)おっぱいに触ってみても起きる気配がありません。



そのままゆっくりとおっぱいのボリューム(それほど大きくはありませんでしたが)を感じられるように揉んでみても目を覚まさなかったので、



久々に触れる女性のおっぱいの感触を暫し楽しみました。



そうこうしているうちに、もぞもぞと僕の股間をまさぐっていた義母の手が止まったのに気づき、



義母の様子をうかがうと、義母が目を覚ましていて、目が合ってしまいました。



「マズイ」と思い、「すみません」と慌てて手を引っ込めようとしましたが、



義母は「マスオさんも大変だったね」と言って、抱き付いてきました。



その瞬間、何かが弾けてしまった感じでした。



無我夢中で、抱き付いてきた義母を抱きしめ身体をまさぐりましたが、



特段の抵抗や嫌がる素振りは無く、むしろ積極的に身体の位置を調整してくれる感じで、気が付いたら2人とも全裸に。



僕は目が覚めた時点からオチンチンはギンギンでしたし、



義母のオマンコを触ると滴るくらい濡れていたので、そのまま一気に挿入し、SEXしてしまいました。



妻の★後、禁欲状態だったこともあり、本当に「三擦り半」くらいで、



アッという間に射精感が込み上げ、我慢できずに中出ししてしまいましたが、発射しても一向に勃起が治まらず、



そのまま(自分にとっては)2回戦に突入してしまいました。



2回戦の最中、隣の部屋で寝ていた娘が目を覚ましグズり始めた声が聞こえたので、



「ちょっと様子を見てきます」と義母に伝え、パパッと服を着てから隣の部屋に行き、娘を抱っこしてあやしていると、



隣の部屋の僕のベッドに居る(と思っていた)の義母がリビングの方から



「(娘の名前)ちゃんのおやつの準備が出来ているから、こっちにおいで~」と声が掛かりました。



リビングに行くと、すっかり服装を直した義母が娘のためにホットケーキを焼いているところで、



娘をもう一度寝かし付けて義母とのSEXの続きをしたかった僕は、ちょっと肩透かしを喰らった感じでした。



その日の夜、食事と入浴が終わり、娘を寝かし付けた後、



前々から予定していた「今後の生活をどうするか」について、義母と話し合いをしました。



夕方にSEXしてしまったこともあり、義母と向かい合って話すのは気恥ずかしさと後ろめたさがあったのですが、



「四十九日の法要が終わったら今後の生活について話をする」という約束をしていたこともあり、



娘を寝かしつけた後にリビングで向かい合いました。



普段家ではめったに飲まないのですが、恥ずかしさも手伝い



「ビールでも飲みながら話しましょう」と、ビールとツマミを準備し



「四十九日も終わったね、本当にお疲れ様でした」と献杯してから話を始めました。



今後の生活については、義母の方から



「急にひとりになるのは寂しいし心細い、子供(娘)の世話のこともあるから、マスオさんが嫌じゃなければこのまま一緒に暮らしてもらいたいの。」



と同居を提案されました。



僕自身は、前の日まで「お義母さんの希望に従おう」と決めていましたが、



やはりSEXしてしまったことが気掛かりで



「僕もお母さん(義母)が迷惑じゃなければ、このまま暮らしたいと考えていました。



でも、僕もまだ若い男ですし、お義母さんも魅力的な女性なので、今日みたいな間違いが・・」



とちょっと躊躇している気持ちを伝えました。



すると、義母は頬を赤らめながら



「間違いなんて寂しいこと言わないで。



マスオさんがどう思ってるか分からないけど、私は間違いだと思っていないわ。」



と僕の手を握ってきました。



「間違いだと思わなくて良いんですか?」と聞くと、「もちろんよ」と答えたので、



「これからもこんなことしちゃうかも知れませんよ」と義母の身体を抱き寄せてキスすると、義母の方から舌を絡めてきました。



唇を外し、耳元で「続きはベッドで」と囁くと、



コクンと頷いたので、そのまま僕のベッドに直行、またSEXしちゃいました。



四十九日法要の翌日と翌々日は休暇を取っていたこともあり、



夜11時頃から朝4時過ぎまで、それまでの禁欲期間を取り戻す様にSEXしまくり、



僕は7回射精し、義母は10回以上エクスタシーに達しました。



この日から「義母」は「妻」に代わりました。



(ここからの「妻」は「義母」のことです)



49日法要が終わって会社に出勤すると、会社の上司や同僚から



「落ち着いたみたいだね」



「元気になって良かった」



と何人も声を掛けられました。



会社の同僚が言うには、事故で(最初の)妻と義父を亡くした後、



忌引き明けで出勤した僕は「あきらかに精神的に参っている」状態に見えたそうです。



最初は「ショックが大きいのだろう」と見守っていた上司や同僚も、1か月経っても改善がみられなかった僕を



「うつ病に罹っているのではないか?」と疑いだし、



法要の数日後に産業医に診てもらうよう段取りをしていたのだそうです。



「元気になって本当に良かった」と励ましてくれました。



その後、妻と娘と3人で仲良く暮らしていましたが、



3回忌が終わった頃から、上司や同僚から



「まだ若いんだし再婚を考えてみたらどうだ。



良かったら良い娘を紹介するぞ」



等々の声が掛かるようになりました。



さすがに「義母と実質的に夫婦として生活しています」とは言えず、



「まだ考えられません」とか「もう少し娘が大きくなってから考えます」とか、お茶を濁す対応をし続けているうちに、



いつしか(35歳を越えた辺り?)こうした声も掛からないようになっていきました。



惚気ていると言われてしまうかも知れませんが、妻との生活には本当に満足していました。



昼間というか子育てを含む表の生活での妻のサポートには大変感謝していましたし、



なにより夜の生活の生活が大満足でした。



妻は30代で子宮摘出手術を受けていたため、



妊娠の心配や生理(子宮が無いと生理も無い)といったSEXをする上での支障がほとんど無く、



SEXも好きだった様で手を伸ばせば受け入れてくれたので、



娘が小学校低学年くらいまでは、



ほぼ毎日(妻が付けていた日記によると、年間300回以上)SEXしていました。



娘が小学校高学年になった以降も週1以上のペースでSEXしていたお蔭で浮気をする余力(?)が無く、



自分が30~40代の時に抱いた女性は妻だけという状況です。



その後も、「お父さん(娘の父親として)」、



「お母さん(最初の妻の母親として)」と呼び合い、



まぁ極々普通の夫婦として生活していましたし、



2年前に娘が嫁に行った後は、娘を目を気にする必要が無くなったので、



お風呂も一緒、ベッドも一緒という感じで、ほぼ毎日ペースでSEXしていました。



妻が60歳の誕生日を過ぎた頃から、



1日おきくらいに「寝込むほどじゃないけど体調が優れない」と訴えることが2週間くらい続いたので、



妻を病院に連れて行きました。



すると、妻は肝臓がんに罹っている可能性が高く、



入院して検査が必要とのことでした。



突然「入院」という言葉を聞いて驚きましたが、



医師の「まだ可能性というだけで、本当にがんかどうかを調べるための入院ですし期間も2~3日ですから」との言葉に、



その場で検査をお願いし、入院日の調整等をして、病院を後にしました。



家に帰ると妻が「私、がんなのかなぁ、この後どうなっちゃうんだろう」と落ち込んでいるので、



「まずは検査しなくちゃね。結果が分かる前に悩んでも仕方が無いから」と抱きしめて慰め、



「入院したら出来なくなっちゃうからSEXしようか」と何日か振りにSEXを楽しみました。



妻も不安さを忘れたいのか、いつもより積極的だったことを覚えています。



その後に3日間の検査入院し、退院した翌日のお昼、僕の携帯に医師から電話がありました。



「治療方針について、本人と話をする前に(僕と)相談したい。



今日は非番なので、時間の都合は何とでもなるから来てくれないか」とのことでした。



「本人と話をする前に相談したい」という言葉に嫌な予感を覚えながらも、



その日は比較的仕事も暇だったので、夕方4時にアポをお願いし、病院で医師から話を聞きました。



検査の結果は「肝臓がん(ステージ4)」。



完治は難しく、正直「余命」ということを考えなければならない状態で、



今後は「治療」というよりも、体調管理を中心とした緩和ケアを考える方が良いとのこと。



これまでに肝臓障害の症状が出ていないのが不思議なくらいなので、



今後肝臓障害の症状が出てくると考えられるから、本人にもキチンと告知して、緩和ケアをしてもらい、



苦しまないで生活してもらうことを考えた方が良いと思うが、どう考えるかとのこと。



僕は、ある程度想定していたとはいえ最悪の結果に愕然とし、



「治療の方法が無いなら、少しでも苦しまないことを第一にお願いします。



本人に告知するかどうかは週末に考えさせて欲しい」と言うのが精一杯でした。



その日、家に帰ると、妻が「今日は体調が良かったのよ」と言って、



ご馳走を準備してくれていました。



僕はどうやって医師に聞いた言葉を妻に伝えようかと迷っていましたが、



努めて明るく振る舞い、食事の後はゆっくりと妻と一緒に入浴し、



ベッドでは妻の肩と下肢をマッサージ(肝臓がんが進むと肩凝りと下肢のむくみが出るそうです)し、



そしていつもより情熱的にSEXしました。



翌日は土曜日(休み)だったので、普段なら朝寝坊を楽しむのですが、



やはり妻の病気を考えてしまうのか、いつもより早めに目が覚めました。



隣で寝ている妻の寝顔を見ながら



「気が付かなかったけど、ちょっと疲れてる感じかなぁ」と考えていると、妻が目を覚まし、



「今日は早起きね、昨日はあんなに激しかったから、ゆっくりお休みになるかと思ったわ」と機嫌は良さそうでした。



「今日は体調はどう?」と聞くと、「今日は大丈夫よ」と答えたので、



「せっかく早起きしたんだからドライブにでも行こうか?」と誘い、



家族の思い出の場所でもある海へドライブに出掛け、砂浜をノンビリ散歩したり、



何度か通ったレストランでブランチを楽しんだり、ゆったりとした時間を過ごし夕方早めに家に戻りました。



僕は努めて「普通の態度」をしていたつもりだったのですが、妻は何かに気が付いていたようで、



家に帰ると「お父さん、ひょっとして病院から何か連絡があったの?」と、ズバリと切り出してきました。



僕は自分自身の気持ちの整理が付いていなかったこともあり



「あぁ、うん、まぁ」とあやふやに答えるしかありませんでした。



「その様子だと、あまり良い話じゃなさそうね。



でも今は聞きたくないから、夜に話を聞かせて。」



と言って、夜に話をすることになりました。



早めに夕食とお風呂を済ませリビングで向かい合いましたが、



僕の方がなかなか話を切り出すことが出来ず、「ベッドで話すよ」と2人でベッドに入り、



妻を胸の中で抱きしめながら「お母さんの病気は肝臓がんらしい・・・」と病院で医師に言われた言葉を思い出しながら、



知っている範囲のことを話しました。



妻は黙って聞いていましたが、僕が全て話し終えると、僕にしがみつきながら



「変な病気になっちゃってごめんなさい」と言って静かに涙を流し、



そのまま2時間くらい泣き続けて、いつしか寝てしまいました。



翌日、目が覚めると妻はもうベッドに居ませんでした。



キッチンに行くと「あらぁ今日も早いのね、おはよう」と、いつもと変わらない妻が居ました。



朝食を食べ、リビングのソファーで新聞を読んでいると、



朝食の片づけを終わった妻が隣に座り、僕の方に頭を乗せ静かな口調で



「お父さん、変な病気になっちゃって本当にごめんなさいね。



明後日病院だから、先生からも話を聞いてくるわ。



でも、今日もそうだけど普段は元気だから心配しないでね。」と言いました。



「うん、お母さんもきちんと先生の話を聞いてみて欲しい。



それと、セカンドオピニオンのことも相談してみよう」と言って肩を抱きました。



「お父さん」



「うん?」



「私、今日元気なの」



「うん」



「昨日、私寝ちゃったでしょ?」



「うん」



「これから抱いて」



「身体は大丈夫なのかい?」



「今日は元気だから、いっぱいサービスしちゃうわ」



普段からSEXに積極的な妻でしたが、



この日はいつにも増して積極的で、朝9時過ぎから夕方までベッドで過ごしました。



その後、妻の体調は崩れることなく、翌々週セカンドオピニオンの病院に行った際も



「ひょっとして誤診だったんじゃないか」と思わせるくらい元気でしたが、



無情にもセカンドオピニオンの病院でも同じ診断が下され、



結局その後のケアは最初に行った病院で診てもらうことにしました。



今年に入り、妻の体調が悪くなっていき、



あれよあれよという間に入院、そして一月ほどで永眠しました。



入院してからもダルさは訴えていましたが、



痛みは余り感じなかった(出なかった)様で、



多少体調が良い日などは「入院してるのって暇ねぇ」と冗談とも愚痴とも聞こえる軽口を言っていたくらいだったのですが・・・。



それでも、僕ももちろん毎日見舞いに行きましたし、



嫁に行った娘も1日おきに、隣町に住む妻の友人もほぼ毎日見舞いに来てくれました。



妻があまり苦しい思いをせず、



また寂しい思いをせずに最後の時を過ごせたと思えるのが救いです。



これが、僕と義母との思い出です。





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