最初に母を女として見たのは中学に入った頃。



(母と言っても小学4年で両親が離婚し、私は父親に引き取られ、5年生の時に父が再婚した継母)



性に目覚め、母の汚れた下着でちょくちょくオナニーしていた。






高校の頃、押入れで探し物をしていた時に、箱に入った黒いバイブと大量のコンドーム、そして父と母のいわゆるハメ撮りのポラロイドが何十枚もあるのを発見してしまった。



正直ショックだったが、スケベ心の方が勝った。






この後、ポラロイドに写ったいやらしい母をオカズに、汚れた下着の匂いを嗅いだり舐めたりして、母とセックスしている妄想でオナニーをすることが増えた。



そんなオナニーもだんだんエスカレートし、最後は汚れたクロッチに発射して、母に中出しした気分になっていた。






高校2年の5月くらいに突然、「アンタ、私の下着何かした?」と母に言われた。



焦りながらも、「何もしてないけど何で?」と、とぼけた。



すると母は、「そう、ならいいんだけど・・・」と言葉を濁して部屋を出て行った。






ある日、学校から帰宅した私は、母がパートで留守なのをいいことに、また汚れた下着でオナニーをし、やはり最後はクロッチに発射した。



ベトベトのチンポをパンティーで拭いているところに母がいきなり入ってきた。






「アンタ、何やってるの?こんな事して良いと思ってるの?」






すごい剣幕だった。



最近、洗濯機に入れておいた下着に精液が付いているのに気づいた母は、先日わざと自分に揺さぶりをかけたらしい。





決定的瞬間を押さえられて何も言い返せなかったので、急いで両親の部屋まで母を引っ張って行き、例の箱を押入れから出し、「こんなの見つけた。こんなの見たら俺だってこういう事したくなるじゃん」と訳の分からない逆ギレをすると母は黙ってしまった。






こうなったらどうにでもなれと、「俺だってお母さんとやりたい」と母をベッドに押し倒すと、「親子でしょ!ダメ」と抵抗されたが、箱からコンドームを出し、「これを着ければ他人だし、元々本当の親じゃないじゃん」と言って羽交い絞めにした。



すると少し沈黙した後、「今日だけにして」と、母は諦めたように言った。






そのまま服を脱がせ、無我夢中で挿入した。



母は目を閉じて耐えている様子。



すぐに我慢できずに発射。



ところが発射してもオチンチンは小さくならず、まだキンキンに立っていた。



すかさずコンドームを取り替えようとしたら・・・。






「そのまま入れなさい・・・いいわよ」






小さな声だったが、はっきりと聞こえた。



私は耳を疑った。






「え、だって子供ができたら・・・」






私が言い終わる前に、「いいから!」と被せて言われたのでそのまま挿入した。



腰を振ると、今度は母もハァハァ感じている。



もう訳が分からなかったが、明らかに母も積極的に腰を振っている。



しばらくして、「今日は大丈夫だから中で、中で」という言葉を聞いた瞬間、2度目の発射。



発射している間も、母にきつく抱き締められていた。



放心状態の私に母が言う。






「アンタが私のパンツでエッチなことをしてるのは知ってたの。今日、その場に乗り込んで怒ろうと思ったけど、あれ(例の箱)がバレてるんならもういいと思って」






「だからって何で?」






「アタシ、毎日でもしたいの。でも、お父さん疲れてるでしょ。だからアンタなら若いしヤリたい盛りだと思って・・・」






母は相当のセックス好きだったらしく、それから毎日、パートから帰るたびに私とセックスをした。



私が汚れた下着フェチってのも知ってたので、下着の上から舐めさせたり、生理の時は下着の上からオチンチンを素股のように擦り付け、下着に発射させるなどの変態行為を許した。



休みの時には、2人で買い物に行くと父に嘘をつき、ラブホテルで楽しんだ。






ほぼ毎日のように行為に溺れたが、ある時、母が妊娠してしまった。



ところが、母は月に1~2回は父ともしていたので、正直に父に「子供ができた」と伝え、さすがに産むわけにもいかず中絶することになった。



私は物凄い罪悪感があり、数日はまともに母と向き合えなかったが、母の方から「アンタは何も気にしなくていいから、いつかそうなると思ってた」と言われ、この女相当好きものだなと思ったくらいである。






その後だが、今から3年くらい前に父が外に女を囲っていることが発覚し、両親は離婚することとなった。



父はマンションを売り、母は実家に戻ったが、母の両親はすでに他界しており母1人で実家で生活することとなった。



これで私と母は戸籍上も他人となり、誰の目も気にせず母と夫婦のような生活ができた。



(ここから先は『母』という表現は変なので『佳枝』と書きます)






その頃の私は実家を出て1人暮らしをしていたので、佳枝は通い妻のようにやって来ては食事を作ってくれて、お互い欲しくなれば求め合い、一緒に風呂に入ったり買い物に出かけたりもした。



周りから見れば面倒見の良い母親と手を焼かせている息子に見えただろうが、事実は別。






行為の内容もエスカレートし、前戯の際は下着の上から匂いを嗅いだり舐めたり、私の顔の上に下着のまま跨がってもらったり。



わざと下着を使ったオナニーをして見せたり、バイブやローター、電気按摩器で失神するまでイカせたりもした。






2人で旅行にも何度も行った。



佳枝も私との泥沼な関係をさらに深めようと、「もうこの際だから子供を作ろう」などと言いだし、本当の夫婦のように子作りに励んだ。



というより、子作りも辞さない泥沼の恋愛ごっこを楽しんだと言うべきか・・・。



排卵日前後は、中出し後にしばらく繋がったままでいたりと、まるで新婚夫婦の営み。



幸いなことに、去年生理が上がるまで妊娠はしませんでしたが・・・。



まぁ妊娠したところで、もうすぐ60歳の体で産めるわけもないのですが






生理もあがった今となっては、お互いしたいと思った時にいくらでもでき、中での発射も随時。



途中、私にも彼女ができたりもしたが、佳枝は嫉妬するどころか、彼女には言えない性癖を知っている分、別の次元のエッチをしていた。



そのせいか付き合う女性は年上が多く、高校時代は人妻がセフレだった時期もあったり、若い子にはあまり目が行かなくなっていた。






とにかく、おばさんとの関係は異常に多かった。



バイト先でパートの主婦や配達先のお客さん、年を偽ってバイトしていたラブホの清掃のおばさん、パチンコ屋でよく会うおばさん、などなど・・・。



就職してからも事務のおばちゃん、掃除のおばちゃん、旅行先のホテルの浴室掃除のおばさん、仲居さんなど。






若い子の露出の多い服装や派手な下着にも興奮しますが、セックスという次元では40代以降にしか目が行きません。



気が向いたらまた佳枝以外のおばさんとの体験でも書きます。



駄文・長文失礼しました。