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セックスしながら息子の話をする人妻を抱く快感 私の性史4









 最初に3Pを体験したのは、私が二十代の中頃のことだった。大学院に籍を置きながら、家庭教師や深夜喫茶で生活費と学費を稼ぎ、時間だけはたっぷりあった。付き合いの長い恋人はいたが、新鮮な気持ちは薄れていた。友人は皆社会人となり、私だけが将来の見通しもつかない、宙ぶらりんな生活を送っていた。

 そんなとき、新宿の本屋で当時『ホームダイヤモンド』という名前の交際雑誌を知った。夫婦交換や3Pのパートナーを求めるコーナーに、息が詰まるほどの衝撃を感じた。

「普通の奥さんが裸をさらして、ほかの男とセックスしているって!」




 信じられなおもいで回送をだし、ようやく一通の返事が来た。待ち合わせは西武新宿線の新宿駅。それが長く続く交際人生の始まりだった。

 S夫妻はすでに孫もいる五十代の中年ご夫婦だった。ご主人は細くて小柄なおとなしい監事の男性。奥様は、山口果林という女優に似た、女っぽいとうより、はきはきした女実業家、という感じの人。実際、数件のレストランを経営する社長夫妻だった。

 食事でもするのかと思ったら、そのまま夫妻と百人超のラブホテルにはいった。夫妻は夫婦同士の交際から入り、今はほとんど単独男性を呼んで3Pがメイン。「好きなようにやっていいよ」とご主人はいって、ソファに座ってビールを飲み始めた。




 奥様とシャワーを浴び、ベッドに横になっても、私はなかなか勃起しない。ご主人は、「最初だから気を抜いて」と励ましてくれた。夫人は、持参したすけすけのキャミソールと、黒のストッキングとガーターつけて体をくねらず。肉のたっぷり付いた腰や、垂れ気味の乳房がエロチックだ。でも頭は興奮しても、ペニスにはとどかない。

 「3P初めてだからね」と夫人は、私のペニスをしゃぶりながら、いつの間にかスキンをつけた指で私のアナルを刺激し始めた。「結婚した長男が、お嫁さんに飽きて、それでこうやると起つんですって」と、夫人はペニスを横咥えしながら、長男夫婦のセックスライフを話した。




 突然、痛いほど勃起した。普通の家庭の主婦が、息子と同年齢の男のペニスをしゃぶっているのだ、と考えると、たまらない欲望がこみ上げてきた。

 濡れきった夫人の股間にペニスを突っ込み、恥骨がぶつかって音が出るほど突き立てた。大きな尻を両手で抱え、垂れた乳房についた大きな乳首をくわえると、夫人は「激しい、激しい、いいわ、いいわ」とうめく。眉間に皺を寄せてよがる母親の顔が、さらに私を興奮させた。

 最初の射精は、腰が溶けるほどの快感だった。太い腰の中に自分の精液が吸い込まれていくような感覚に酔いしれた。そのまま2度、3度とセックスを重ねた。だんだん余裕が出てきて、恋人と覚えた48手のいくつかを試し、中年の人妻の体を好きなように抱いた。




 夫人も私も汗まみれで、駅弁をやっているときに、思わず抱えた手が汗で滑って、お年かけたほどだ。バックで突いているとき、いつの間にか来たのか、ご主人が間近で除いているのに気づいた。

 「そのままやって、そのまま」

 とうめくように言っていた。




 数回射精して、精液がでなくなっても、成人した息子をもった母親が、セックスをしたがっていて、自分がそれを抱いているのだ、という状況が、私を興奮させ続けた。ふわふわした乳房、大きな腰、白いなめらかで、たるんだ肌も素敵だった。

 私たちは最期にご主人が加わるまでほとんど三時間、セックスをし続けた。夫人の中に精液を出すたびに、私は、彼女の息子のことを考えて、また硬直した。




 「もうだめ、こわれそうよ」

 と夫人がいい、私も疲れ切って横になったのが、4時間ほどたった頃だろうか。

「いやあ、君は強いねえ。女房もくたくただよ」とご主人は喜んでくれた。

 その後、3pやデート型などでS夫妻とは十数年年以上にもわたって交際を続けた。夫人と他のご夫婦との交換もやったし、夫人が私のアパートに1週間ほど住み込んだこともあった。




 信用されたのか、私を経営するレストランに招待してくれたこともある。旅行先で市りった知人ということで、シェフをしている長男、別の店のマネージャーをしている長女とも顔見知りになった。

 奥様は60代半ばを超えると、性欲も落ちて膣に痛みを感じるようになった。それでも私は、長男や長女に立派な母親として接している夫人の姿を想像すると、ほしくてたまらなくなる。最後に夫人とセックスしたのは70近かったか、それでもたっぷりした夫人の体は、何にも代えがたい魅力だった。、










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