もう40年近く昔の話である。



妻が切迫流産で入院すると実家から義母が駆けつけて来た。



幸い進行流産になる可能性は低いとの診断で一安心。



義母に大丈夫だから帰るように言ったのだが、落ち着くまで泊まって行くと言い張る。



義父は数年前に他界しているので大丈夫との一点張り。






今回が私たちの初めての子供なのでアパートは1DK。



仕方ないのでなるべく離して布団を二組敷いた。



電気を消してしばらくすると義母がもそもそしている。



すると私の布団を捲り上げて義母が入って来た。



左手に当たる感触は裸のようだった。






「お義母さん」






「いいからジッとして。パジャマ脱いで」






有無を言わせず脱がされ、半立ちのムスコを握られた。






「頼子とはどのくらいしてないの?」






頼子とは妻の名前である。



義母の手つきは大胆なことをする割にぎこちなく、一向に気持ち良くならない。






「妊娠したのが分かってから一度もしてませんよ」






私が激しいので流産しかけたと思ったのだろう。






「じゃあ、もう3ヶ月もしてないのね。その間どうしてたの?」






「その辺は適当に」






「まさか、トルコなんかに行ってないでしょうね」






当時はソープを『トルコ』と呼んでいた。






「とにかく溜まってるでしょ。早く出しちゃいなさい」






そう言われても全然気持ち良くない。



それに、手コキだけなら自分が裸になる必要はない訳で、義母の脚の間に手を伸ばした。



抵抗はなかったが、割れ目はピッタリ閉じたまま。



仕方ないので一旦起きて69の体勢になった。






「何するの?!」






義母はかなり慌てていた。



フェラやクンニなど素人はほとんどしていなかった時代である。






答える代わりに茂みを分けて舌をこじ入れる。



慌てて脚を閉じるが、義母はかなり上付きで、おさね(クリのこと)が丸見え。



それも結構デカい。



銀杏くらいのおさねを吸い込んで舌の先でこね回すと義母の尻が暴れた。



その拍子に膝が割れたので頭をこじ入れる。



ビラビラは思ったより短く、溢れたおつゆは味が濃い。






豆電球の明かりで目の前の下腹を見ると縦に1本、微かな手術痕がある。



もしかしたらと体勢を入れ替えて入れようとしてみたが、案の定まったく抵抗しない。



まだ40歳を過ぎたばかりの義母だが、どうやら妊娠の心配はないらしい。



このタイミングでゴムを付けるのは興醒めなものである。






では遠慮なくと突き入れたが、これが予想外にキツい。



先っぽが入っただけで止まってしまった。



ピタッと張り付く膣壁が何とも気持ちいい。



そのまま押し込むと裏筋が引っ張られて最高の交わりが始まった。



抜き挿し5分も持たず1回目の昇天。



離れようとする義母を押さえ込んで2回戦に突入。



義母は驚いていたが、今度はゆったりとした抜き挿しにして時おり回転も加えると義母の息が乱れてきた。



こうなるとマグロだった義母も脚を踏ん張って尻を振り始める。



抜き挿しは出来なくなったので回転に集中する。



お蔭で近頃憶えがないくらいの気持ちいい2度目の大放出だった。






落ち着いたところで話を聞いたら、義母が妻を身籠もった時、義父に浮気されたそうである。



それで虫封じに義母が押しかけて来たらしい。



おまけに、妻も納得ずくと言われて引いてしまった。






結局、妻の容態が落ち着くまでの1ヶ月。



出産前の1ヶ月。



都合2ヶ月、義母のお世話になった。



帰りがけに義母が、「年子で次を作りなさい」と言って帰って行った。



その通りあと2人子供が生まれたが、その間ずっと義母のお世話になりっぱなしだった。



と言うか、2人目の時からは義母の方が夢中で、週末は明け方まで寝かせてもらえなかった。






そんな義母も今年傘寿を迎える。






「最後の親孝行をお願いね」と妻に言われているが、還暦近い自分の方が期待に添えるかどうか不安である。