1685:うさちゃんねる@まとめ 2021/06/14(月) 12:00:00
私がまだC学生だった頃、離婚した叔母が家に居候していた時期があった。
当時の叔母は36歳でお姉さんというほど若くはなかったが、若作りしていて面と向かってオバちゃんと呼ぶのは気が引けたので、サキちゃんと名前にちゃん付けで呼んでいた。
サキちゃんはぐうたらでろくに働かず、それでも人柄の良さゆえか父や実姉である母に疎まれることもなく、食う寝る遊ぶの日々を満喫していた。
「私、これからたっくん(私)の目覚まし時計になる」
そんな毎日が夏休みのサキちゃんがこう宣言したのは、いつ頃だったか。
規則正しい生活を取り戻す一環として、朝早くに起床して私を起こしてくれると言い出したのだ。
それより大分前に母に起こされる習慣から脱却していた私としてはありがた迷惑だったが、せっかくやる気になった彼女に「いらない」なんて言えっこない。
それにどうせ三日坊主だろう。
そう高を括っていたが、サキちゃんは毎日しっかり私を起こしにきてくれた。
必然的にパジャマのズボンの前が膨らんでいる姿を見られることになったが、当時の私は非常に奥手でオナニーしたことも射精したこともなく、朝立ちを見られても特に何とも思わなかった。
だが彼女は初めて目にした時からずっと気になっていたらしい。
サキちゃんが部屋に起こしに来るようになってからしばらくすると、私は夢精するようになった。
寝ている私のズボンに張ったテントを彼女が面白がって弄っていたからだ。
ある日、弄られている最中に起きて現場を目撃したことで判明した。
ぎょっとして声を出そうとしたが、口を開く前に下半身から異様な快感が込み上げてきて、初めて起きている時に射精した。
パンツの中に漏らしてしまっているのに、気持ちよくて堪らず変な声が出た。
「あれ、たっくん起きてたの!? ごめんね~!」
私が茫然自失のまま起き上がると、慌てふためいて謝るサキちゃん。
ごめんで済むようなことでもないと思うが、それより私は先ほど味わった快感のこと以外、何も考えられなくなっていた。
私は両親への口止め料代わりとして、サキちゃんに毎日ペ〇スを扱いてもらうようになった。
一般にシコ猿とも称される男子C学生がオナニーを覚える前に、熟女の手で擦られて射精する快感を知ってしまったというわけだ。
手コキは朝起きた時と学校から帰ってきて晩御飯を食べるまでの間の朝夕2回が基本だったが、それらに加えて寝る前にもしてもらうこともあった。
覚えたての快感に溺れる私を見て面白がった彼女はフェラチオまでしてくれるようになり、それが更にエスカレートしてセックスに行き着くのはある意味当然の帰結だった。
36歳の叔母との禁断のセックス。
今から2×年前にそんな出来事があったなんて、両親は勿論知らない。
サキちゃんと初めてセックスしたのは日曜日。
両親が車で買い物に出かけたのを見てからすぐに彼女の部屋に行った。
事前にセックスしようと約束していたので私は既に勃起しており、布団で寝たふりをしている彼女の肩をゆすった。
激しい性衝動に突き動かされて掛け布団をどけると、彼女はなんと全裸だった。
それまで女性器どころか乳房すらまともに見たことがなかったと言えば、私がこの時どれほど興奮したかわかってもらえるだろうか。
あまりに興奮しすぎて、私はサキちゃんにパンツを下ろしてもらっただけで射精してしまった。
出てきた精液を慌てて口で受け止めようとする彼女を他所に、射精の快感に打ち震えた。
このように初っ端から少々ドタバタしたが、サキちゃんが終始リードしてくれたおかげで私は気持ちよく童貞卒業することができた。
騎乗位でリズミカルに腰を上下に振ってもらい、私は彼女とぎゅっと手を繋ぎながら中出し。
私のペ〇スが勃起しても小さかったこともあり快感そのものは手コキやフェラチオの方が上だったが、この時に味わった満足感はそれらを遥かに超えていた。
男に生まれて良かったと心の底から思った。
しかし初体験だからと言って、コンドーム無しでやらせてくれたことに対して素直に感謝していいものか微妙だ。
騎乗位で叔母の中に入れたまま2回も発射して、もしあれで妊娠していたら洒落にならなかった。
サキちゃんが大サービスでセックスさせてくれたのはこの日だけだったが、手コキとフェラチオはそれからも毎日してくれた。
だからこそ彼女がいい働き口を見つけ、急遽家を出て行くことになった時には涙ながらに引き留めたものだ。
それを見て母も貰い泣きしていたが、私が性欲処理してくれる女性がいなくなることを惜しんで泣いているんだと知ったら、きっと卒倒していたことだろう。
私がまだC学生だった頃、離婚した叔母が家に居候していた時期があった。
当時の叔母は36歳でお姉さんというほど若くはなかったが、若作りしていて面と向かってオバちゃんと呼ぶのは気が引けたので、サキちゃんと名前にちゃん付けで呼んでいた。
サキちゃんはぐうたらでろくに働かず、それでも人柄の良さゆえか父や実姉である母に疎まれることもなく、食う寝る遊ぶの日々を満喫していた。
「私、これからたっくん(私)の目覚まし時計になる」
そんな毎日が夏休みのサキちゃんがこう宣言したのは、いつ頃だったか。
規則正しい生活を取り戻す一環として、朝早くに起床して私を起こしてくれると言い出したのだ。
それより大分前に母に起こされる習慣から脱却していた私としてはありがた迷惑だったが、せっかくやる気になった彼女に「いらない」なんて言えっこない。
それにどうせ三日坊主だろう。
そう高を括っていたが、サキちゃんは毎日しっかり私を起こしにきてくれた。
必然的にパジャマのズボンの前が膨らんでいる姿を見られることになったが、当時の私は非常に奥手でオナニーしたことも射精したこともなく、朝立ちを見られても特に何とも思わなかった。
だが彼女は初めて目にした時からずっと気になっていたらしい。
サキちゃんが部屋に起こしに来るようになってからしばらくすると、私は夢精するようになった。
寝ている私のズボンに張ったテントを彼女が面白がって弄っていたからだ。
ある日、弄られている最中に起きて現場を目撃したことで判明した。
ぎょっとして声を出そうとしたが、口を開く前に下半身から異様な快感が込み上げてきて、初めて起きている時に射精した。
パンツの中に漏らしてしまっているのに、気持ちよくて堪らず変な声が出た。
「あれ、たっくん起きてたの!? ごめんね~!」
私が茫然自失のまま起き上がると、慌てふためいて謝るサキちゃん。
ごめんで済むようなことでもないと思うが、それより私は先ほど味わった快感のこと以外、何も考えられなくなっていた。
私は両親への口止め料代わりとして、サキちゃんに毎日ペ〇スを扱いてもらうようになった。
一般にシコ猿とも称される男子C学生がオナニーを覚える前に、熟女の手で擦られて射精する快感を知ってしまったというわけだ。
手コキは朝起きた時と学校から帰ってきて晩御飯を食べるまでの間の朝夕2回が基本だったが、それらに加えて寝る前にもしてもらうこともあった。
覚えたての快感に溺れる私を見て面白がった彼女はフェラチオまでしてくれるようになり、それが更にエスカレートしてセックスに行き着くのはある意味当然の帰結だった。
36歳の叔母との禁断のセックス。
今から2×年前にそんな出来事があったなんて、両親は勿論知らない。
サキちゃんと初めてセックスしたのは日曜日。
両親が車で買い物に出かけたのを見てからすぐに彼女の部屋に行った。
事前にセックスしようと約束していたので私は既に勃起しており、布団で寝たふりをしている彼女の肩をゆすった。
激しい性衝動に突き動かされて掛け布団をどけると、彼女はなんと全裸だった。
それまで女性器どころか乳房すらまともに見たことがなかったと言えば、私がこの時どれほど興奮したかわかってもらえるだろうか。
あまりに興奮しすぎて、私はサキちゃんにパンツを下ろしてもらっただけで射精してしまった。
出てきた精液を慌てて口で受け止めようとする彼女を他所に、射精の快感に打ち震えた。
このように初っ端から少々ドタバタしたが、サキちゃんが終始リードしてくれたおかげで私は気持ちよく童貞卒業することができた。
騎乗位でリズミカルに腰を上下に振ってもらい、私は彼女とぎゅっと手を繋ぎながら中出し。
私のペ〇スが勃起しても小さかったこともあり快感そのものは手コキやフェラチオの方が上だったが、この時に味わった満足感はそれらを遥かに超えていた。
男に生まれて良かったと心の底から思った。
しかし初体験だからと言って、コンドーム無しでやらせてくれたことに対して素直に感謝していいものか微妙だ。
騎乗位で叔母の中に入れたまま2回も発射して、もしあれで妊娠していたら洒落にならなかった。
サキちゃんが大サービスでセックスさせてくれたのはこの日だけだったが、手コキとフェラチオはそれからも毎日してくれた。
だからこそ彼女がいい働き口を見つけ、急遽家を出て行くことになった時には涙ながらに引き留めたものだ。
それを見て母も貰い泣きしていたが、私が性欲処理してくれる女性がいなくなることを惜しんで泣いているんだと知ったら、きっと卒倒していたことだろう。
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