私が中学3年、夏も終ろうとしている頃の話です。






住まいも近いM君とは、お互いの家に行ったり来たりで親しくしていた。



母親同士(当時両者38歳?)もまたお互い母子家庭という環境から親しかった。



私もMおばさんは奇麗で好きだった。



その年の夏の始め頃に「ねぇR(私)今月の◯日からM君家族と温泉旅行に行くわよ。休みも取れたし」と、台所の方から母の嬉しそうな声がした。






当日は四人とも電車の中からはしゃいで目的地に向かった。



立派な宿で、部屋は離れの隣同士が予約されていた。



母達も無理したろうなと内心思った。






一風呂浴びてから私達の部屋で一緒に食事をとり、2人ともお酒を飲み(私達も飲んだ)顔をピンク色にして本当に嬉しそうであった。



食事後は卓球や射的を楽しみ、寝る前に4人で一緒に露天風呂へ入ったのだが、勃起したアソコをタオルで隠していると母達から「なぁに、大きくなっちゃったの?」とからかわれ、恥ずかしがりながら母達の裸をしっかり見たことを覚えている。






私とM君はそれぞれの部屋に戻り、私が布団でウトウトしていると、コトッと音がして母が戻り、部屋の電気も豆球だけになった。



暫くすると母の暖かい手が私の右手、浴衣の合せ目から胸に触れてきた。



私も眠ったふりをしながら右側に寝返りを打ち、湯上りの甘い母の香りを楽しんだ。



すでに股間は力が漲っている。



甘える要領で左手を腰辺りに伸ばしてドキッとした。



素肌に触れたのである。



同時に母の手が私の股間を浴衣越しに優しく擦ってくる、二度目のドキッが来た。





そして暗い部屋にまだ目が慣れない頃に三度目のドキッが来た。






囁くように「R君、大丈夫よ、我慢できなくなったら言ってね」






Mおばさんの声である。






目を開けて見ると、アレーッおばさんだ。






頭の中には「部屋間違えた?」「母さんは?」色々浮かんで消えたが「セックスができるのか」だけは消えなかった。






帯を解かれ始め、唇、乳首、ペニス等々にソフトにキスをされ、気持ちが良くてそれだけで発射寸前だったが、結構冷静だったことも覚えている。



Mおばさんの股間に手を這わせるとヌルヌルとしてMおばさんも「大きくて硬いのね。ア~ッ、アウ、大丈夫だから我慢しなくていつでも出していいわ」と言い、私に跨りペニスを掴み、一気に挿し込んだ。



Mおばさんの大きな声がした。






私も「これがオマンコか」と感激し、「オウオウ」と声を出した。






下からMおばさんの胸を鷲掴みに揉むと、顔を後方に仰け反らせ声をあげている。



第一弾はやはり早く出てしまった。






Mおばさんは息を切らせながら、






「すごい、すごく良かった、まだ硬いままなのね。おばさん良かった?」



「良かったあ~、今度は最初から僕にやらせて」






「ごめんね、途中から夢中になっちゃったエヘッ」






一旦抜いてからMおばさんにうつ伏せになってもらい第二弾に挑戦した。



乳首を咥え転がし、クリトリスを舌と指で愛撫し、指を挿入し冷静に色々と攻めてみた。






Mおばさんは大きな声をあげ続け「お願い、もうちょうだい」と催促がでたので正常位で挑み、段々Mおばさんの声が「アン、イー」から「オウッ、もっと突いて~、もっと~、ガウッ、アゥ」






今度は確実にMおばさんが達したのを確認して直後に発射できた。






しかし、Mおばさんのお腹が波打ち、体が痙攣状態になっているのを見て少し驚いた記憶がある。



その達したMおばさんを見ているときに、隣の離れからも大きな声が一瞬だが聞こえた。



母の声だった。






この夜は第三弾を発射し、内風呂でMおばさんと相互にベトベトになったアソコを洗いっ子して床に就いた。






翌朝も「どうしよう、教えてあげるつもりだけだったのに、こんなに感じたの初めて、これからも時々ね・・・」自信のついた私は朝食前に一発発射し、Mおばさんも達した。






朝食の時の、母とMおばさんの満たされた少し疲れたような幸せそうな顔と、私とM君の照れくさそうな睡眠不足の顔が可笑しかった。



その後も私はMおばさんと18~19歳位まで楽しんだ。