投下してみる。
雪と会ったのは高校の入学式だ。
会ったというかそのときはまだ一方的におれが雪を知ったということなのだが、
ま、話はそこから。
体育館でのだりぃ式典がやっと終わったとき、
「こちらに来るように」と教師から肩を叩かれた。
肩を叩かれた生徒は他にもいて、おれたちは父兄ともども体育館の後ろにぞろぞろ連れられていく。
そうして集められた新入生と父兄の中に雪もいたわけだ。
「ここに集まってもらった人は本校の生徒としてふさわしくない頭髪・服装の人たちです」
と自己紹介不要で一目体育教師とわかるおっさんが力強くいった。
舐めてもらっちゃ困るという決意を発散させている。
それを合図に体育教師の後ろに待機していた数人のおっさんやおばさんがちりぢりに動いて、
きみの身だしなみのここが悪いと個別指導を開始した。
肩を叩かれなかった生徒とその父兄が好奇の視線を控えめに向けながら体育館を出て行く。
おれの場合短ランと呼ばれる裾の短い学生服とボンタンと呼ばれる太ももの太い学生ズボン。
っていうファッションが出てくると大体おれの年代想像できるだろうがそれはとにかく、当時は正真正銘の15歳だったおれは、
入学式早々注意を受けて恐縮しきりの母親を放置してすぐそばの美しい少女をチラ見してた。
茶髪(なんて言葉当時まだなかったが)というにもあまりに鮮やかな茶。
黄金色みたい。
「脱色? 染めてるの?」
というおばさん教師の詰問にやはり恐縮して身を小さくしている自分の母親を無視して、
彼女はふって湧いた言いがかりをつけられたみたいに、
けどその状況に特に追い詰められてるふうでもなく
「え? 地毛ですよ?」と首をかしげていた。
困ったな?という台詞が聞こえてきそうな微苦笑を浮かべ、しきりに首をかしげ、
大の大人が何をそんなに必○なの?と的な上から目線で教師を見ていた。
無実を訴えているやつや怒ってるやつや、ふて腐れてるやつがほとんどなのに、
彼女だけ余裕をもっていた。
真っ茶色の髪は眉にかかりそうなところで揃っていて(今でいうパッツンだね)、
少し吊り気味の瞳は大きく、そんで強い生命力に溢れている。
まつげが長い。
肌が透き通るくらい白くその白さはどこか儚く、
からだは小柄で、肩も腕も脚もとても細かった。
雪女みたい、とそのときおれはなんとなくそう思った。
差し詰め雪女村一番の美少女といったところか。
そして微笑む唇からのぞく、とてもきれいに並んだ白い歯並らびをみたとき
おれはのこのこ恋に落ちていたw
「やべぇよ。あれ」
部室で学生服から剣道着に着替えながらSがいった。
「何がだよ?」
「ほら。C組の例の雪女」
おお愛しの雪ちゃん。彼女の情報なら何でもいいや。欲しい。でもやべっぇて?
「がおうーの女なんだってさ」
がっ、がおう?
「マジで?」てかなんでてめぉぇがそんなこと知ってる?
「今日聞いたんだけどC組のFがさ、金曜に彼女に電話番号きいたんだってさ、するとその晩にがおうーから電話あって」
「がおうーにやられたの?」おれはガクガク震えた。
「いあ。呼び出されたとこにがおうー本人はいなかったんだけど、
がおうーの子分5、6人に囲まれて、もうめちゃめちゃに」
電番きいただけでめちゃめちゃに…
「これもさ、それ教えてくれたおれのクラスのやつの情報だけど、
これまでにも彼女に声かけた2年と3年も同じ目にあったってよ」
おれは竹刀を握った。
がおうー、か。
上段に構える。
忘れよう。
バイバイ可憐な雪女。
がおうーの女であることは、
雪の出身中学(不良の総本山)から入学したがおうーの後輩にあたる同級生からも確認した。
がおうーの何人もいる彼女のひとりとのことで、
行方不明になりたくなければ変な気をおこすなと忠告された。
もとよりそのような蛮勇の持ち合わせはない。
チラ見、それがこんなおれにも許された分相応の楽しみ。
C組の教室が近づくたびにそっとときめいて彼女を探した。
でもたいていの休み時間彼女は教室前の廊下にいた。
髪を黒くした彼女は、もっときれいだった。
いつだって数人の女の子の中心にいた。
全身で跳ねるようにしゃべり、他愛ない話題に大きな声できゃっきゃっ笑っていた。
その笑い声は決して美しい音ではなく、
つーか、どっちかつーと濁っているというか、鼻にかかっているというか
それでいてやたらと周囲に響き、まるでエコーがかかってるみたいに通り渡り、耳で反響した。
いつもおれの隣にいるおれの剣友のSがおれの耳に生暖かい息を吹きかけながら
「あの響く声でさ、耳に響く声でさ、あーんあーんってこだまするように泣かれたらたまんねぇーよな」
Sの単純で下品なイメージにおれは単純に発情したのだった。
あの響く声でさ、耳に響く声でさ、あーんあーんってこだまするように泣かれたら?
畜生。たつじゃねーか。いきりたったこいつをどーこうしたくなるじゃねーか。
ということで何度オナニーしたか。
畜生Sめ。つまんねーこといいやがって。
あの響く声でさ、耳に響く声でさ、あーんあーんってこだまする?
腕の中であの雪が溶けていき、
開いた唇から覗く清潔な歯並び。
白い胸。
夜毎だったw
当時雪はプリンセスという感じだったかな。
男たちの多くが雪を盗み見している。
雪もあきらかにその視線を捕捉していた、はずである。
けど雪のバックグラウンドにはがおうーが、
がおうーがおうーと胸をゴリラ叩きしているのだ。
この地域のこの年齢の少年で知らないやつはもぐりといわれる絶対王者。
王者の女だといって別に雪は威張り散らすわけじゃなかった。
女友達に溶け込んで普通に女子高生を楽しんでいる。
けど王者の彼女であることはすでに周知だったし、
雪に声をかけた男子ががおうーの制裁を受けたということは、
王者の情婦であるがゆえに許された力を、ふりがさしてみたい子供っぽさももっているのだろう。
そんな雪が、時々。
入学式から月日がたって、そう衣替えの終わった頃から時々。
怖い物なんてなあんにもないはずのプリンセスにが、時々。
女友達相手にひとしきりにはしゃいでいたのにちらりこちらをみる。
おお、ちらみ返し、おれはたちまち電流に身を焼かれるのだが、
そのあとほんの一瞬だが、なんていうか弱気な表情になって目をそらし、
その伏せた瞳が泣きそうにみえるのだ。
「うほっ。今日もそそる声だなw」いつでも軽薄で元気なSが肩を組んでくる。
放せ。こら。妄想の邪魔すんな。てめぇ。
心で怒鳴りりながら、もしか?
もしか?
「あのさ」
ある日の放課後部室にいこうとしてたとき
雪があたりをささっと警戒しながらおれに近寄ってきた。
「話があるんだけど、いい?」
いつものきんきん響く声ではない。
つかウィスパーボイス。
そしてそれが初めて会話する機会だった。
え? え? てんぱってうなずくおれを先導して雪は歩き出す。
わたし好きな人がいるの。あんたは?
いるよ、いる。それはおまえだ。
これから始まる話への、身勝手な展開予想がとまらない。
でも。がおうー。そう思うとたちまちテンションは暴落する。
がおう。見たことない。
けどジャイアンの何千倍もジャイアンなリアルジャイアン。
今のこのシーンだって誰かにみられたらやばいかもしれない。
前を歩く雪女。白いブラウス。透けてみえるブラジャーの線。
階段の踊り場で振り返り、何かいいかけた彼女が口ごもる。
「なに?」
「う、うん」
「あのさ」
おれは息を呑む。
「Sって、好きなコいるん?」
生涯最悪の肩すかしw
それをくらったこの上に、告白されるとでも思ってたんかいみたいな突っ込みまでは、勘弁してほしかった。
だからおれは「ん。なんでだよ?」と平静をよそおっていった。
「ばか。そうきたら悟ってよ…」
もちろん、心情的に悟りたくなかっただけで一瞬で悟っていたさ。
S。
あの軽薄で下品で、おれよりもオナニー回数の多い数少ない候補として思い浮かぶあいつ。
でも、冷静に思い返すと、Sは整った、それもかなり整った顔立ちだった。
当時おれとSの卒業した中学はがおうーのいた中学の次に荒れていて、
生徒数が3倍だった関係で不良の数はむしろうちのほうが多く、
一部の生徒を除いてほぼみんなが変形学生服を着ているような中学だった。
不良ブランドが高いほどもてた特殊な環境下においておれもSも女子に目立ちようがなかったわけだが、
もともと素材の良かったSは新しい世界にでてきても依然平凡なままのおれとは違って中学時代とにはあり得なかった輝きで異性に映るようになっていたのかもしれない。
おまけにSは最近急激に身長が伸び、スタイルだっていい。
雪が惚れたとしても不思議でないのかもしれない。
でも。
「でも雪さんって」
「でも雪さんってその、つきあってる人、その」
がおうーといえず、いえないまま、口にださなくても会話続くだろ?という信号を送りながらいってみた。
「うん」雪はずっとうつむっきぱなしでウィスパーボイスのままだ。「いるよ」
「Sに彼女はいないよ? 脈はあると思う。彼と別れてSとつきあうの?」
雪は答えなかった。
そんときなんたるタイミング、階段の上にSが現れた。
何も知らんS。
おれに話しかけようとして一緒にいる雪に目を見開き、疾風のようにひっこんだ。
雪はSをみて、同じ速さでそっぽをむいた。
校庭にむいた雪はまたあの泣きそうな瞳になっていた。
「おい。先に部室いってるぞ?」
もう一度そぉーと顔をのぞかせたSがさっとまた消えた。別の階段から部室にいくのだろう。
S。彼女はいない。そしてやつも童貞。やつの性欲をそそる女は何人もいる。
雪もそのひとりであるが、雪がSを好きだといったとたんSにとって女は雪ひとりになるだろう。
ただしがおうーという高すぎる壁がなければだ。
おれは部室に急いだが部室は無人でSもすでに道場にでていた。
それでおれもそそくさと袴に着替えて面をつけた。
遅れたおれが正座して部長の許しを得るまで竹刀を脇に正座している間、
許されて竹刀を振っている間、
Sがずっとおれを気にしているのはわかった。
その視線が好奇と不安に満ち満ちていることは、
やつの表情が面に隠れていたってわかりすぎるくらいわかる。
Sとの乱稽古の際は心ここにあらずのSをフルボッコにしてやった。
憎しみ全開でなぐってやった。
これからのおまえを待っているのはこれよりずっと恐ろしい暴力だ、
なんてわけのわからぬひとりよがりな罵声を心の中で浴びせながら。
先輩に挨拶して部室を出るなり急いでSはおれの袖をひいた。
おれだって話があった。
「てめー。なんだよ? 雪女となんなんだよ?」
鼻息が荒かった。
「おまえを好きだってさ」
「はっ?」
鼻息が止まった。呼吸すら止めていた。
「もう一度いえ」
「知るか」
羨ましかった。でも祝ってもやりたかったのだ。
だが、がおうー。
おれは何も言えなくなってSをそのままにして歩きかけ、立ち止まった。
「やめとけよ? がおうーに○されるぞ?」
その夜Sから電話があった。
「本当におれに惚れたといってたか?」
「ああ」
「あの響く声でさ、耳に響く声でさ、あーんあーんっていわれるのが現実になるのか?」
「冥土の土産になるかもだけど」
「わかってる… 無理だよな… でも」
まだ喋りたそうだったがおれには何も言ってやれる言葉が浮かばず、電話を切った。
次の日、登校までまだかなり時間のあるカブトムシでもとりにいくのかよ的な早朝、
またSから電話。
こんなに朝早くからなんの用だと、とりついだ母親が耳を澄ましているそばで電話しにくいおれに構わず、
Sは一方的にまくし立てた。喜び、そして悩む、この繰り返しだった。
一時間目の生物の授業をSにサボらされた。
体育館の裏の山。勾配の急な草むら。
Sはおれにセブンスターをすすめた。
「いつまでに返事したらいいのかな?」
「急がないといってたぞ?」
「かあーーーーーー。童貞卒業かw しかも相手が雪ならなんたるプロローグ。先にすまんな」
「いいよ。おれは処女とやるから」
おれの負け惜しみはやつのハートに少しヒットしたらしく舌打ちした。
「けど雪だからな」
そういわれたらやはり負けた気がする。
「でも」とSはいった。「やばいよな。がおうーが黙ってないよな」
Sは何度目になるかわかんない苦悩の沼にまた沈んでいった。
「あのさ、おまえばれたら○されるぞ」とおれはいった。
本当に○されるわけじゃね?しと開き直るなど、当時のおれたちには想像してみることすらできなかった。
あのころの、不良めいたかっこをランクに合った範囲内で周囲の空気を読みながらしてみるだけの、
情けないくらい中途半端なおれたちにとって、
がおうーというのは次元の違う存在で、ゴットファーザーだった。
やつの子分たちから度々殴られたり、度々金を取られたり、
そんな修羅場の扉を喜んで開くなどどうしてできよう?
「粉かけただけでどんな目に遭わされたか聞いただろ? 寝取ったとかなるとマジ○されるぞ?」
Sは立て続けにセブンスターを灰にした。
「忘れた方がいいよな」やがてSはいった。
「そうだな。なんにも聞かなかった昨日に戻るのが一番だな」
そういっておれは、なんだか苦々しい気持ちになる。
「それとも愛を勇気に、がおうーと闘うか?」
「無理さ」とSは力なく笑った。
愛を勇気にがおうーと闘うか? おれはそれを自分にも問いかけてみた。無理だった。
「決めたぞ。あきらめる」とSは力をこめていった。そして続けた。「でもよ? 変な断り方したら逆に彼女の怒りに触れてさ、
がおうーに変に報告されたりとかさ、ないかな?」
ありそうだった。
Sはおれに顔を近づけてきた。「おまえさ、雪にそつなく断ってくれねーか?」
「剣道に夢中? いまはだから、誰ともつきあう気はない?」
昨日と同じ放課後の階段の踊り場でおれの言葉を繰り返し雪はため息をついた。
どこかでカラスが鳴いている。
この緊迫からまるっきりフリーダムなカラスが羨ましかった。
雪は白いペンキをふきつけた階段の壁に何か字をかこうとするみたいに持っていた口紅を近づけて空中でとめた。
Sのメッセンジャーとしてそこにいたおれは無難にやり過ごせますようにと階段の神様に祈った。
校庭を走るどこかの部の生徒たち。
そこに瞬間移動してどんなハードトレーニングであろうが率先して受けたかった。
雪の背景には、あのがおうー山脈が隆々とそびえているのだ。
こんなシーンは長引かせるべきではなかった。
それから夕日に眩しい雪ががっくり失望しているようなのを見ているのが辛かった。
そして。
やめとけよ、とSにいったとき、Sの身を案じてるつもりのおれだったが、
Sへの嫉妬から付き合わない方向へ誘導したいのが本心でなかったかと痛感していたたまれないから。
「そんなきれーごとじゃなく、あたしとつきあいたくないといえばいいのにね?」
持っている口紅の先を見つめる。
「いや。うちの剣道部さ、先輩部員の層が薄いんでおれもあいつもチャンスで」
おれもあいつもといったあと、おれは関係なかったなと気づく。
「じゃあ剣道やめてないのに、他の女とつきあったらあたしを騙したと判断するぞ?」
雪がきつい目でおれをみた。騙した? もしか、おれ共犯?
「今は、ってことだし。それに」
「それに?」
おれは言おうかどうしようか迷っていうことにした。
「雪さんこそフェアじゃないよ。つきあってる人いるのにさ、それは置いといてSを好きだとか」
雪の手から口紅が落ちた。
はっとしておれは身を固くした。
「だよな? ごめん」と雪はいった。
「あ、あの、おれ、よけいなこといったね」おれは口紅を拾おうとする雪より先に拾って雪に差し出した。
「ううん。いう通りよ」
雪は微笑んで口紅を受け取った。
入学式の時のあの微笑ではない微笑で。
「ごめんな。ありがとな。もういっていいよ」
「お、おう」
本当にいっていいのかな? おれは一度立ち止まったが、結局階段をおりだした。
「別れたくても別れられないんだよ?」
あの声が後で響いておれは立ち止まった。
「他に何人も女いて、たまにしか会わないくせにさ。
あたしはあいつをもう好きじゃないのにさ。別れてくれないんだよ」
振り返る。小柄な雪の全身が震えるように訴えようとしていた。
誰に? おれに? Sに? がおうーに? 自分に? 何を?
やめろ、このまま階段を降りていっちまえ、そういってしきりにおれを制止する心の声を振り切って、
おれはおれを見ている雪のところに階段をあがっていった。
数日が過ぎた。
数週間が過ぎた。
数ヶ月が過ぎた。
SはなるべくC組を通らないようにしていた。
とりあえずおれもそうした。
でもときおりどこかですれ違う。
雪のほうがおれの教室を通るときや全校や学年で集まるときとかだ。
雪はおれなんて意識しないで、
いつも数人の女の子に囲まれ、
全身で跳ねるようにしゃべり、他愛ない話題(たぶん)に大きな声できゃっきゃっ笑っていた。
あの響き渡るエコーのかかった笑い声で。
あの日以来おれはそれまでになかったくらい剣道に没頭した。
たばこもやめた。
オナニーはやめなかったが今より強くなりたくて竹刀を振り続けた。
夏休みが終わり、
秋がきて、
3年生の卒業した新人戦の団体戦メンバーにSもおれもいた。
新人戦の前の土曜日の放課後。
他校の剣道部を招いての練習試合が企画された。
部員以外の少数のギャラリーに、誰が呼んだのかどうして来たのか、雪の姿があった。
心ここにあらずな顔を時たまこちらに向けるけれど、
連れだって来たらしい女友達ときゃっきゃっ笑いあっている。
あいかわらず響き渡る声。それがなくても雪女は目立った。
相手校の生徒にも。
「おい。雪がいるぞ?」
おれがいい、Sはすぐに目をそらし唇を噛んだ。
これから剣先を交える油断ならない相手、
ともすれば緊張するだろう自分。
過酷な闘いに備え今は他のことなど考えられないとでもいいたげにSはかぶりを振った。
Sが先鋒。おれは副将だった。
あ。副将といったっておれが2番目に強いと目されていたわけじゃないよ。
ま、おれはうちの部の誰にも負けない気だったが部の評価は違った。
点取りシステムを勝ち上がる常套手段として相手のポイントゲッターを避ける目的でそこに配置されただけの、つまりは一年生のSとおれは負けやむなしと計算された上のポジションだったわけ。
しかし緒戦、開始早々Sのコテが決まったのだった。
あと一本とれば文句なし。このままタイムアウトでも勝ちだ。
リードしたSは守りを固めた。
残り時間が少なければ悪くない作戦だ。
けど残り時間がありすぎた。
実力であきらかにSを上回る相手は出会い頭の不覚から立ち直って守勢一方のSを追い詰める。
バカ攻めろ。攻めろ。おれはSに念を送りつつ度々ギャラリーに目をやった。
いけーっと声をあげて応援する雪がいた。
時間いっぱいどうにか逃げ切ったSが片手を上げる小さなジェスチャーで大きな喜びをあらわした。
おれはなんということなく讃えるギャラリーの中に、喜んでいる雪をさがす。
さっきはあんなに声を出していたのに今の雪はそれほど喜んでいるように見えなかった。
そして雪と目が合った。
え?
短い時間だがじっとおれを見た。
なんだよ?
雪はおれに向かってうなずいた。うなずいたんだと思う。
「別れたくても別れられないんだよ」
あのときそういった雪はふたたび階段を上がって雪の前に立ったおれに続けていった。
「Sは結局、がおうーがこわいんだよね? みなそうだよね?」
がおうが怖いからSは雪とつきあえない。自分でわかっていたのだ。
答えられないおれに雪は続けた。
「じゃあさ、例えばあんたはあたしとつきあえる?」
不意打ちだった。やはり答えられないままひたすらきょどるおれを放置して、
「あんたも、がおうーがこわいんだw みんなそうだよね?
ねぇ? あたしは… がおうーから、一生から逃げられないのかな?」
と雪はいった。そして階段の壁に口紅で、バカ、と書いた。
白い壁に赤いメッセージ。「バカ」
雪はそして「×」と刻んだ。
その後ろ姿の肩が、ほんとに細かった。背中が、とても小さかった。
おれはなんだか、そんとき初めて普通のおれになって、つまり美しい彼女へのうわつきとか、
がおうーの影とか、
抱いてみたい欲望とか、
どうせ抱けないだろうと思っているからこそ生まれるひねくれた小さな雪への反撥とか、
その他彼女を見るときに必ずかぶさってくる様々なしがらみから初めて自由になった素の自分で、公平な目線で雪を見れている気がした。
「がおうーさんのこと嫌いなの?」
「嫌いなのは、がおうーの女になって浮かれてたいい気なあたし。
強い力を手にした気で、浮かれて、ほんとにバカだったw
ね、そんとき手に入れたバカなもんとひきかえに、
これからあたしはずっとずっと何も求めちゃいけなくなったのかな?」
そしておれの番がやってきた。
先鋒のSの勝利を、しかし次鋒も中堅も引き継げなかった。
あっというまに敗退し、チームは1対2とリードされる。
おれが負けたらうちの学校の敗けが決定する角番。
おれの相手。あちらでただひとりの一年生だった。
おれはそいつをよく知っていた。憎い野郎だ。
初めてあったのは小学生のとき。
こちらは牧歌的少年剣道倶楽部。
あちらは全国に出て行くエリート剣士団。
何が何だか把握できんうちに2本獲られた顔合わせ以来、中学時代を合わせたら5回やって5回負けている。
でも5回目は一本しか獲られていない。
差は詰まっていたのだ。
そしてここ数ヶ月、かつてないくらい剣の研鑽を積んだおれは成長したはずである。
またうなずくかな?
雪をみたが雪はおれを見ていなかった。
さっきうなずいたように見えたのは気のせいだったのかもしれない。
ただし友達と笑い合ってもいない。
いや。今は試合だ。
こいつはおれの右に回る。そつなく素早く回るのだ。
ついていこうと必○な刹那、唐突に出し抜かれる。
おれのレベルを超えた踏み込みでおれを打ち据えるのだ。
だがこの前の、5回目の対戦ではかろうじてついていけた。
6回目は渡り合えるはずだ。
やつも成長していた。
出鼻、やつが一閃、おれの頭を打った。
一本と判定されても文句を言えなかったが審判はとらなかった。
ほっとするため息の間すら惜しい。
打った。ひたすら打ち合った。
見えはじめた。
気負いすぎていたのだ。
普通に見れば見える。
素で、公平な目線で見れば等身大のやつが見える。
やつの呼吸が聞こえる。
おれと同じ一年生だ。おれの○角にまわりきれなくて苛々している。
やつがおれに対する認識をあたらめた気配が把握できた。
襲撃する。
さばく。
闘いの喜びが全身を満たす。
一本の判定が下ってもおかしくない場面がふたたびあった。
今度はおれの繰り出したメンだった。
一本でもおかしくなかった、構わず打ち返してくるがやつもそう思っているみたいだ。
おれは懸命にしのぎ
たびたび打ち込んだ。
そして試合は延長に。
やつが驚いた目でおれを見ている。
しばしの休息。
試合に集中しているはずの頭の中、
あの日の階段での会話がしきりによみがえった。
「じゃああんたはあたしとつきあえる?」
といったあと、雪は次にこういった。
「じゃあさ、いいよ。つきあうとかじゃなくていいよ。
やらしてあげる。それだった、どうする?」
おれはたまげて絶句した。
「ただマン提案しても即答されないほどあたしって魅力ねーか?」雪は笑った。
「いあ」
「うん。知ってるw がおうーが怖いからしないんだろ?
でもさ、がおうーには黙っててあげるよ? やる? これからやりにいく?」
涼しげにおれを見ていた。測られている、そう感じた。
おれの中で不愉快な感情が芽生え膨らんでいく。
広がっていくその感情についてこれは何んだと考える。
悔しい、という感情に似ていた。
「なんでやらせてくれっていわないのかな?
あたしはね、別にやりまんで、エッチしなきゃ○んじゃうわけじゃないよ?
どうしてもあんたとやりたいわけじゃないんだよ?
なんだか、わかんないけど、むしょうに、ひとりぽっちな気分で、誰でもいいから、
おまえをだきしめてやるよ? って言葉をききたいだけなのに…
なんで?」
彼女の瞳から涼しさが消えていた。寒がっている瞳になっていた。
寒いと一面銀色の景色の中で泣いていた。
なんで? とおれも思った。
なんでこんなにも素敵な雪がこんなにも不幸じゃなきゃいけないんだ?
喉が火照り、叫びたいのに、言葉がでなかった。
「やりたいけど今はやらない」とやっとおれはいった。
雪は「はぁ?」と問い返えしておれをみた。そして笑った。
「こんなチャンス今しかあるわけないのにw」
「もうチャンスがなくたって仕方ないよ」
「こわいんだよね? いいよ。とにかくSに伝えてくれてありがとう。もういっていいよ?」
「たぶん… 雪さんが好きだから」
「はっ?」
雪はじっとおれを見た。「意味わかんないw」
「おれもわかんない。でもたぶん、好きだからこそ、やらせてといえないんだ。じゃいくね?」
雪を見ずにおれは階段を駆け下りたのだった。
そだ、階段の神様に誓っておこうと、おれはさっきの言葉をもう一度心で繰り返した。
好きだからこそ、やらせてといいません。
「意味説明しろよ?」と背中に聞こえたが立ち止まらなかった。
説明できなかったからだ。
彼女を好きならば、決してやらせてくれなんていうな。
なんで心がそういうのか、それに従うべきだとわかっているくせにその意味が自分でもわからなかったから。
「わたしが好きだから? それって、なんだよ?」雪の声がもう一度聞こえた。
あれから数ヶ月がたって今おれはしたたかな敵と向き合っている。そして今ならわかる気がした。
試合の再開が告げられおれの心は道場に戻る。
おれは竹刀を構えた。
雪とやりてぇよとおれは強く思った。
勝てる。
勝てる相手と見切ったわけじゃない。
やはりおれよりも強い。だが怖くない。立ち向かっていける。
いいたかったのはこういうことだ。
矢次に竹刀を振りながらおれは思った。
好きだからこそ、恵んでもらったりしたくなかったんだ。
おれは闘って、手に入れる。
勝利はラッキーで転がりこむもんじゃないから。
おまえを勝ち取れる男になっておまえのまえに立つんだ。
右に回ろうとしたやつの足が一瞬もつれたように見えた。
雪とやりてぇー。
叫んで、おれは渾身の面を打ち込んだ。
そしておれは胴を払われていた。
部室を出ると雪が外で待っていたのでびっくりした。
「かっこよかったよ? S」と雪はSにいった。
一緒にいた剣道部の先輩や仲間は雪の出現とその言葉になんということなく動転しながらも、
ここはそうしとくべきだろみたいに小さく冷やかした。
Sも笑った。その笑いは今のこの場面は冗談ですよと周りに確かめかけ、念押ししている笑いだった。
気にしないでくださいね? マジなんでもないですから。
雪の瞳は一瞬曇り、そしておれをみた。
ニヤニヤした。「かっこ悪かったよw」
雪は近づいてきておれの左腕をばんっとかばんで殴った。
「こてー」と軽薄な部員の誰かが叫んだ。
雪は無視して「ね。飲みにいこうよ?」とおれにだけいった。
「へ。なんで酒?」
「試合に負けたてめぇをはげましてやるんだよw あたしんちいくぞ? 拒否権なしだ」
あっけにとられている周りをそのままにして、やはり仰天しているおれを連れて雪は歩き出す。
電車にのってさらにバスにのる。
その間雪はよく喋った。
先生のことや友達のこと、昨日のテレビや夏に買った水着のことや、そんなどうでもいいことばかり。
途惑いながらもおれも合わせた。
雪は長いまつげをそよがせ、あの響き渡る声でよく笑った。
彼女の家に向かって歩く。
がおうーのお膝元。
思いも寄らぬ展開。
何より彼女の真意がまるで読めない。
いいさ、告白するって決めてたんだ、
そのタイミングが訪れただけだ、とおれは腹をくくろうとした。
でもできるかな、おれ? 予定ではもうすこしあとだったんだけどw
初めて見る彼女の家。
大きくはないがまだ新しい一戸建てだった。
「だれもいないから気にしないで」
そういっておれを招き入れた。
初めてみる彼女の部屋。清潔で、整頓されていた。
雪はおれをベッドの脇の長椅子に座らせて、
自分は小さなテーブルをはさんだ床に腰を下ろした。
ふたりとも上着だけ脱いだ白いワイシャツとブラウスの制服のままで向かい合った。
サントリーオールドがどんと机に置かれ、雪はそれをコーラと氷で割った。
おれはあんまり酒を飲んだことがなかった。
おそるおそる一口飲んでノーマルコーラの方がずっとうまいやと思った。
酒に誘っておきながら雪もそうらしく一度すすったあとグラスに手を出さなくなった。
それでも雪の白い肌はうなじからほほにかけてバラ色に染まっていった。
ブラウスの襟元の首から胸にかけてもバラ色になっている。
「これじゃあ、やけ酒パーティーにならないねw」
そういわれると飲めないおれがだらしなく思えてきた。
飲もうと思った。でもそうするならその前にしなければならないことがあった。
「酔う前にいっとく」とおれはいった。
「なんで酔う前?」
「酒のせいだと思われたくないから」
雪は息をとめ食べようとしていたポッキーを机に置いた。「何をいうの?」
おれは自分の気持ちをかっこよく表現したり、
論理的に伝えたり、効果的に伝えたりできる言葉をさがして無理だとあきらめた。
正直にいうことにした。
「初めてあったとき、そっちは気づかなかっただろうけど綺麗なコだなと思った。
その後雪さん見るたびいつも友達と楽しそうで、いいやつっぽくて、
ますます好きになっていく気がした。
でも階段で話した後今までのおれは雪さんを好きじゃなかったと気がついた。
好きになるとはこういうことなんだなと思わずにいられないくらい絶対的な気持ちを雪さんにもっちゃたから」
雪はじっとおれを見ていた。睨んでいるといったほうがいいくらいに真剣な表情で。
「雪さんには彼がいるしSがいる。でも好きだ。だからがんばろうと思った。
がんばる? 何を? 何をがんばればいんだ? と考えたとき、ちょうど竹刀もっててさ、
とりあえずこれでいいやと思った。
剣道が強くなっても雪さんには関係ないし、
今日負けちゃったように、まだまだ全然がんばりが足りなくて、
だからおこがましいんだけど、でもこういう思いがけないチャンスがきたからさ、いうね?」
おれは深呼吸した。
「好きだ。おれとつきあおうよ」
雪は黙っていた。雪の瞳が潤んできて一筋の涙がこぼれた。
「だめかな?」とおれは訊いた。
「だめじゃないよ」と何度も首を振って雪はいった。
「だめじゃない?」
雪は自分の涙に気づき、慌ててぬぐいながら無理にへへっと笑った。
おれはグラスに残っていたウイスキーコークを一気に飲みほした。
げほげほとえずき、でもまだ飲みたい。てか何かしてたい。じゃないといられない。
次のコークハイを作ろうとして手が震えてうまくいかなくて、
そんなおれにふたりで笑い、笑いながら雪が作ってくれた。
駄目じゃない。その言葉におれは宙に浮き上がっていた。夢みたいだった。
でも次に何を喋っていいかわからなくなって、会話が途切れた。
もちろんこのときおれは今日このまま、
つきあうことになった初日から雪と最後までいくことになろうとは思ってもいなかった。
「好きだからやらしてくれと言わない、という言葉の意味を、あたしずっと考えてたんだよ?」
やがて雪がいい雪もきゅっと酒を飲んだ。かっこい唇を指で拭った。
「最初はめちゃむかついたしプライド傷ついたんだぞ? なんだこらバカにしてんのかって。
早速次の日がおうーの兵隊送り込んで激しくやきいれてもらおうかと思ったw
でも。でもね、その言葉が、なぜか心に残って消えなかった。
何人も女を囲っていたかったり、ただなんでもいいから女とやりたかったり、
そのためには何でも言うし安売りするし、でも怖いやつ見たとたん慌ててひっこんだり…
そんなあたしの見慣れたもんと違うものだと思ったの。
ひとりぼっちの場所からずっと抜け出せないままかもしれないあたしが逃したらいけない大事なものはこれかもって気がしたの」
雪はかたわらのクッションを抱いておれを上目でみた。
「無視しちゃいけないと思っても、意味わかんなくてそれからずっとおれ君を見てたよ?
そうしてるうちにおれ君を見るのが習慣になってたw
これってもしかあたし、不覚にもはめられてる?と思ったw それで今日の試合。
強い相手に攻めて攻めてずっと攻めていってたおれ君。
やけ酒といったのはね、ほんとうはね、
きみのこと今日すっかり好きにさせられたことに対してなの」
おれは雪の言葉にますます浮き足だったが、きみ、という言い方で呼ばれ、ぞくっときた。
「あたしからも告白があるのよ。
あのときは、やらしてあげるといったよね? 言い直す」
そういって雪はおれの隣に移動した。
そしてしきりに、あはとか、えへとか、うーんとか、短く笑い、次の言葉をしゃべらない。
やたら首をひねり前髪をさわったり。
目も合わせない。
おれはまた酒を飲み雪も飲んだ。
雪がおれのふとももに両手をおいた。
温かくやわらかかった。
雪の顔が近くに来て吐息がおれの顔にかかった。
ついさっきまでのおれはすごく背筋を正していたのか、
使命感みたいなもんに駆り立てられてにまわりが見えなくなっていたというか、
とにかく普段のおれから考えられないことにエロなど入り込む余地のないキャラになっていたみたいだが、たちまちそれは解除された。
「あたしはがおうーに別れてもらえない女。Sを好きだったこともある女。
でもいまはおれ君が好き。それは本当。きみだけが好き」
そして雪はおれの首に両手を回した。
「抱いて欲しい」
「え?」
「抱いてください」
思わず強く抱きしめていた。
きゃっといったあと、雪もおれを強く抱いた。雪の髪からとてもいいにおいがした。
「はじめて?」と雪が訊きおれは見栄をはってううんといったあと、
「ごめん。はじめて」と言い直した。
雪は嬉しそうに笑って電気を消した。
「脱いで」と雪はいった。
秋の夕方。カーテンはしめられ電気は消えてそうとう薄暗いが、雪の顔ははっきり見える。
さっきは夢中で抱きしめたけれど、こうして一度距離をとると悲しき童貞、
おれはべらぼうに震えだしたのを抑えられなくなった。
脱がないでいると、
「サービスするね? 抱いて欲しいから」と雪がおれのシャツのボタンに手をかけた。
震えているのが恥ずかしかった。
あと臭いが気になった。
汗は部室でしっかりタオルで拭いたつもりだけど、
剣道着をきたあとのかび臭い香りをおれは強烈にまき散らしてるのでないか。
でも雪は裸になったおれの胸にほほを寄せて何もいわなかった。
そうしておれの体を寝かしつけていく。
おれの上にからだをのせた。
「とって食べたりしないわよw リラックスしてw」
触れそうなくらい唇を近づけて雪は笑った。
白くきれいな歯。
深い瞳がやさしくおれを見おろしていた。
おれの体の震えが収まっていく。
雪はおれのほほにキスをした。
おれのでこにキスをした。
おれの鼻にキスをした。
とても愛情の感じられるキスをたっぷりしてくれた。
甘い香りが鼻孔を満たす。
「雪さんは脱がないの?」
「あたし? あたしはまだw」
そしておれの唇に唇を重ねた。思えばファーストキス。
おれは両手だらりんちょでそれを受けた。
次に雪はおれの上の唇と下の唇を交互に唇ではさみ、やさしく吸った。
両手だらりんちょなのが耐えられなくなってくる。
熱い息がやさしくかかる。
雪の舌がおれの唇をこじあけるようにしてはいってきた。
おれの舌の上側や裏側や歯の裏側や上顎を舐め、
そして舌をねっとり吸われているうちおれは頭の芯までしびれたような快感にどうにもならなくなる。
雪を押し倒して上になった。
がむしゃらに舌を動かし唇をすった。
雪があえいだような気がした。
耳を傾けると、キスをうけながら雪は短い吐息を時々上げていた。
おれが上になってからというもの、不意をつかれている間受け身にさせられちゃっていたのか、
あるいはおれの面目をたてるように一歩引きおれにオフェンスを任せていたかのような雪が、
再び遠慮がちに舌を使い出した。
やがて舌は自由に、春のウサギのように縦横無尽に魅惑的に動いた。
するとね、とたんに違った。全然根本的に違うのだ。
おれのがむしゃらな愛情伝達はなんだったんだ?
雪の小さな手が、おれの脇腹をそっと撫で、
背中をさすり、
髪をかき上げ、耳をおさえ、首を抱きしめる。
すべからくぞくぞくし、おれのねじは残らず飛んでいく。
このめくるめくキスはでも、がおうーの仕込みなんだろう。
それに対して傷ついたり萎えることすら雪の創り出す快楽はおれに許さない。
もうひたすらこのままずっと雪の唇と舌に耽溺していたかった。
でも胸。そう胸。生涯想像の対象でしかないと思っていた雪のおっぱいを、
今のおれは少し移動すれば見ることができるのだ。
どんなおっぱいかじっくり観賞できるのだ。
信じがたいことだが触れたり舐めたり、ちゅうちゅう吸ったり、
後先考えない鬼畜になれば握りつぶすことだってできるのだ(そんな必要さらさらないが)。
唇を放した。雪を見た。目を閉じていた雪が目を開き、ん? とまったりからみつくような、
唾の糸をやらしくひくような、粘い視線でおれをみかえした。
その表情が、もうキスは終わり? という未練を伝えてくれてるようで、
おれはまた愛しさをやりきれない。
おれはブラウスの上から雪の胸に頬ずりした。
ブラジャーの抵抗感。
「まだよ? まだあたしが上」と雪はあの濁った、でもとてもセクシーに響く声で笑いながらいった。
おれはその言葉を無視してブラウスの上から手さぐりであくせくブラのワイヤーをずらす。
無防備になった乳首とおぼしきあたりにブラウス越しにむしゃぶりついた。
そのときだ。夢に見たあの響く声での、「あん」を、一言だが初めて聞いたのだった。
それはおれの下半身に響いた。
だからこそここは、よりじっくり粘液質にいくべきだと中年の今は思ったりするw
けど罪のない15歳童貞のおれは矢も楯もたまらかった。
ブラウスのボタンを性急に外してばっとはだいた。惜しみなく、乳の全貌があきらかになるまでブラを上にたしくあげた。
雪はすぐに両手で胸を隠した。
その前に一瞬見えていた。
清潔な、少女の薄い胸。桜色の小さな乳首。
半年前までは中学生だった胸。
「あたし小さいの」
と雪は消え入りそうな声でいった。
それでおれの野獣スイッチはやっとオフになったのだった。
おれは首を振った。微笑みかけたい。
うまく微笑みかけられないのでもう一度首を振った。
それから壊れものに触れるようなつもりでそっと雪の手ぶらから雪の乳房を解放した。
未成熟な少女の胸が隠れたままではいられなくなってオープンになった。
清楚。
桜色の乳首を、おれは口に含んだ。味を確認しようと思った。
だけど耳が先に確認した。今度こそはっきりと「あん」と泣く雪の吐息を。
舌でころがし、吸う。
雪の呼吸が速く高くなり、時々からだがぴくんと反応し、時々呼吸が声になる。
おれは体をおこした。雪はまた手で胸を隠す。
スカートを脱がした。パンティに手をかけた。
すると胸の上の雪の両手がすばやくパンティーの中に移動した。
さっきの手ぶらよりもさらなる秒速であって、そしてガードは頑強だった。
同時に、えっ、と途惑った。
雪のからだが小さく、ごくわずかにだが震えているようなのに気づいたからだ。
おれはパンティーずらした。雪がぐっと体を硬くする。
セックスなんて何度もしているはずだ。
事実ここまでとびきりのリードと卓越したテクニックで堂々とおれをリードしていた。
なのにいま、急に雪は頼りなくなっていた。
おれは心のどこかで、
この女はセックスに馴れていると下から見て同時に上から見ていたのかもしれない。
太ももにからんでいたパンティを脱がせる。
雪は手で隠したままだが脚をあげておれに協力した。
そして雪は震えている自分に自分でも気づいたみたいで
「あたし、震えてる?」と訊いた。
そんな自分に途惑っているような、こわばった微笑みを雪は浮かべた。
「はじめてじゃないのに。おれ君に悪いけどはじめてじゃないのに」
と雪は自分じゃなくおれを救おうとしているみたいに弁明した。「今がいやじゃないんだよ? でも、恥ずかしいw 震えててごめん」
なにか伝えたいのに言葉がでない。
「あたしのからだ、変じゃない? 汚くない? 嫌われるかも、なんてこわがらなくていい? 」
もちろん。てか、きれいだ、といいたいのに、おれときたらずやはりそんな簡単な単語が発音できない。
おれが答えないでいることにあきらめて、やがて雪は「目をつぶって」と命じた。
実直にその通りにした。ゆっくり雪は手をどかした。
もちろん薄目でみていた。少ない恥毛。
ふれようとした。
雪は慌ててからだをおこして抱きついてきた。
「もう濡れてるから」と雪はおれの耳元でいった。「すごい濡れてるから。だからさわってくれなくても大丈夫。いまは早くひとつになりたいの」
再びおれを寝かしつけた。
「目を閉じてて」
「信用できないなー」と雪は薄めのおれをのぞき込み豊かなまつげをしばたかせた。
そして雪は両手を背中に回してブラを抜き取ると仰向けになったおれの目のあたりに
「ちっょと失礼w」といってそのブラジャーをかぶせた。
訪れる闇。つつみこむ香り。
雪の気配が下半身に移動しておれにまたがった。
ぎんぎんにはちきれそうなおれを繊細な存在がやさしく包み、さわる。
それだけで高速射精しそうな感じ。
射精と言えば、おれ、コンドームとかしてないし。
そう思うまもなかった。
「あたしとやりたい?」と雪がいい、おれが答えないでいるともう一度いった。「あたしとやりたい?」
おれば言葉にできなかったが無我夢中で頷いた。
「ありがとう。すごく嬉しい、男前だよw」そういい指で包んだおれを自分にあてがい、雪はそっと腰を沈めた。
「ごめんね… あたし初めてじゃなくて」という声が聞こえた。
そこはほんとうにすごく。
そこはほんとうにすごく濡れていた。おれなんかを求めてくれているのだと思うと泣きたい気持ちになった。
雪が短く、小さな声で泣いた。
するりとおれは雪の中にはいっていた。
雪はおれの腹に両手を添え、静かに動いた。
上に乗っている重量感はまるでない。だから夢みたいだ。
期待していたエコーのかかったあの声での、「あんあん」も耳にこだまするわけでない。
おれは視界を遮っていたいい香りのする温度の温かいブラジャーをずらした。
雪をみた。おれにまたがった少女のからだがおれの上でおれを快楽に導くためにゆっくり懸命に動いていた。
下唇をかみ、目を強くつぶっていた。
長いまつげを伏せ、何かをこらえるようなせつなく苦しい表情になっていた。
乱れた黒髪が静かに舞い、その下の眉間に、くっきりそうとわかる立て皺ができている。
噛みしめられた唇は断続的に震えている。
ボタンをはずしてチョッキのようにまとった白いブラウス。
そのブラウスよりも白い胸の上で、そこだけ隆起しているような桜色の乳首が儚く震動していた。
あえぐ声は聞こえないが、抑制された吐息が、途切れ途切れに漏れていた。
淡い吐息を漏らすたびに少しだけ開く唇からきれいにそろった純白の歯がのぞく。
おれは雪の固くなっている桜色の乳首を指ではさんだ。
乳房を強く抑えてみるとすぐに背中の感触が伝わる。
おれは雪の華奢な腰に手をかけて下から動いてみた。
吐息が大きくなった。吐息はやがて声になった。
やがて聞きたかったあの声が、雪が毎日寝起きしている部屋に響き渡った。
その声が耳に届いたとき、雪とやっているとおれは実感したのだった。
間もなくおれは雪の中に果てた。
近いうちにおれはがおうの子分に呼び出されるだろう。
そうしたら好きなだけ殴ってもらおう。
でもどれだけ殴られても彼女と別れないと言い続けよう。
がおうー本人に呼び出されるかもしれない。
そしても好きなだけ殴ってもらおう。
どれだけ殴られても雪はおれの女ですと言い続けよう。
がくぶるだけど大丈夫、おれの腕で眠る雪をみているとスタート前の向こう見ずな冒険家のようにわけのわからん力が無制限に湧いてきて、
おれにおれを信頼させるのだ。
眠っていた彼女が目を醒ました。
雪の瞳はおれをさがすように動き、目が合うと雪は微笑んだ。
そして雪は「お腹すいたでしょ」といった。
なんでお腹だよw
右の瞳がうまく開かないみたいで、
そのことが自分でおかしかったらしく右のまぶたをこすりながら雪はくすくす笑った。
「いつころからかな、もうわたしは何も望んじゃいけないんだ、
二度と思いつくままに飛べなくなったんだと思うようになってた。
そうできる日なんて二度とこないと信じられなくなってた。
どんな人もあたしをここから連れ出してくれないんだと、泣いてることも気づけず毎日泣いてたよ?」
と雪はおれの胸をひかえめに指でくすぐりながら、消して美しくはないけれど、エコーのかかったようにおれの耳にセクシャルに響く声でいった。
「でも今は信じられるよ? 信じていいよね? 」
もちろん、とおれは強く思い、でもまたしても言葉にできなくて、彼女がほっとできる微笑になっててくれよ? と必○に願いながら、
顔の筋肉を全力で躍動させた。
この愛しい人におれの全力の思いが伝わりますように、がんばれおれの表情筋!と鼓舞した。
うまく伝わったか自信がなかったので、雪の髪を力を込めてくちゃくちゃにした。
それでも伝わるか不安だったのでここは苦しいだけの神頼み、
愛していると伝わりますように、
さらに願わくば、いや絶対に、
この幸せにならなきゃいけないいつも明るく元気でいなくちゃならないこの美しくか弱い白い雪の精がおれの腕からふいに消えてなくなりませんように、
軽薄で弱いおれが今のこの気持ちをいつまでも忘れず頑張れますようにと、
思いつくただ一人の神様の、あの階段の神様におれはそっと願った。
完Kanかん
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