20年くらい前の事です。
私の家は母子家庭で、弟がいます。
冬休みの事です。
母が勤めに出ていたので、いつものような四つ違いの弟を連れて、近所のスーパーに買い物に行きました。
私は中学1年でした。
そこで弟が、お菓子をポケットに入れ、そのままレジで支払いを済ませて家に帰ろうとしたら、50メートルほど行った所で2人のおじさんに呼び止められました。
弟の取ったお菓子のことで厳しく問い詰められました。
弟は泣き出しましたが、おじさん達は情け容赦無く、「警察に連れて行くから、お母さんを呼んで来なさい」と言われて・・・。
「お母さんは会社で、夜まで帰ってきません」
私がそう言うと・・・。
「それじゃ、君が連れて来たんなら、君が保護者なんやな?」
私は弟のしたことが本当に大変なことのように思えて、何としてでも弟を助けなければと思い、「はい、私が保護者です」と言ってしまいました。
「そんなら、君に来てもらおか!」
もう1人の凄く太ったおじさんが・・・。
「ほんまやったら警察に来てもらうんやが、そうすると学校にも親にも連絡して取り調べゆう事になるんやで!」
「まあ、そこまでしたら可哀想ですやろ。なんやったらわしの知り合いの家が近所やさかい、そこで取り調べをさしてもらうっちゅうことで」
「後々の為にも甘やかしたらあかんのやが、そこまで言うんなら、君の知り合いの家を借りるか。その代わり厳しく調べるからな!ええなあ!」
私は弟を助けたい一心で頷きました。
それに、そのときはそのおじさんたちが警察の人だと信じ切っていたんです。
今から思うと、おじさんたちは私のことを前から狙っていたみたいでした。
家の事情もみんな知っていたんだと思います。
その汚いマンションは、人気も無く、薄暗い所でした。
部屋に入るとおじさん達より、もっと年のいった人がソファーに座っていました。
「どうしたんや?山田君」
「はい、万引き犯の片割れですわ。この人はわしらの大先輩で、万引き犯を何人も捕まえて、刑務所に入れてはるんや」
「せっかくや、大山先輩にも手伝うてもらお」
初めのうちは住所や名前を訊かれ・・・。
「◯◯陽子です」
「さっきも言うたように警察には連絡せんといたる。その代わり徹底的に身体検査したる。それから二度とこんな事せんように、わしら3人掛かりで厳しいお仕置きをしたるさかいな!わかったか?」
私は3人の大人に囲まれて恐ろしいばかりで、早く終わって欲しいと思うばかりでした。
そして身体検査が始まりました。
「証拠写真を撮る」と言って、痩せた方のおじさんがカメラで撮っていました。
今思うとビデオカメラだったんです。
最初、ジャンパーだけ脱がされ、両手を頭の上で組むように言われて、太ったおじさんと大山というおじいさんに、前と後ろから大きい手で体中を調べられました。
セーターとズボンの上からでしたが、おじさん達はニタニタしながら、1時間近く撫で回しました。
特にお股やお尻を調べる時はテーブルの上に立たされ、太い指でグリグリされて、すごく痛かったです。
それが終わるとセーターとズボンを脱がされ、Tシャツとスパッツだけにされ、「お仕置きだ」と言って、おじさん達3人に代わる代わるにお尻叩きをされました。
今思い出しても恥ずかしくて顔が赤くなりそうなお仕置きでした。
この辺から幼な心にも、単なる罰と言うより、何かいやらしい事をされていると感じていました。
でも、あまりに幼かった私は、ただ歯を食いしばって恥ずかしいイタズラを耐えるしかなかったのです。
一番目は痩せたおじさんでした。
「こんな可愛い顔して万引きするとは。泥棒と一緒やぞ!二度とせんようにたっぷりお仕置きしたるさかい覚悟するんや」
膝の上にうつ伏せに押さえ付け、スパッツの上から50回くらい叩かれて、私はワンワン泣きじゃくりました。
おじさんは1回叩く度に私のお尻を撫で回したり、お股にイタズラするんです。
叩かれる痛さが先で、それほど気にならなかったんですが、その痩せたおじさんは幼い私のお尻を思う存分楽しんで、変態的な性癖を満足させていたんです。
二番目は太ったおじさんでした。
同じようにされました。
でもそのおじさんは力も強く、お尻の感覚がなくなるほどでした。
2人のおじさんに散々お仕置きされた後、「ちょっと休憩や」と言って3人はヒソヒソ話をしていました。
私はソファーでうつ伏せのままシクシク泣いていました。
しばらくして大山というおじいさんが・・・。
「最後は、わしがもっと厳しいお仕置きと身体検査をしたるさかいな」
また同じように膝の上にうつ伏せに乗せられ、お尻叩きをされました。
今度は、もっと露骨にいやらしい事をいっぱいされたんです。
2人のおじさんにお仕置きされている間、私が我慢してじっと耐えていたのをいいことに、「もっと酷いことをしても、この子は誰にも言えないから大丈夫」みたいな相談をしていたんだと思います。
スパッツの上からアソコやお尻の割れ目を指で穿りまわされ、1時間以上も虐められました。
それが終わると・・・。
「スパッツの上からやと効き目がないい。剥いて、直に叩かんといかんじゃろう」
おじいさんは、嫌がる私を太いおじさんに押さえさせ、Tシャツもスパッツも剥くように脱がしていきます。
きっと私の恥ずかしがる顔を見て楽しんでいたんだと思います。
パンツも脱がされ、丸裸にされてしまいました。
この頃から、3人とも露骨にいやらしい言葉を言うようになりました。
興奮のあまり、それまでと違う人みたいでした。
「よっしゃ!これで最後の身体検査や!君ら、この子の脚を持って思いっきり拡げるんや」
「へえ、わかりました!」
私はまんぐり返しの格好で押さえられ、私のアソコに鼻がくっつくくらい近くでおじいさんに覗かれたり、指で拡げてイタズラされました。
「おめこに、何か隠しておらんかどうか、指突っ込んで調べたる」
「そんな所に何も隠してません。許してください」
私は泣きながらお願いしました。
でもおじいさんはいやらしい顔であそこをべっちょべちょに舐めました。
そして・・・太い指をずぶりとこじ入れたんです。
「痛!痛い・・・許して下さい!・・・痛いよう、痛いよう」
それからも散々私のあそこを順番にいじめ抜いて、最後に3人のおちんちんを舐めさせられました。
とても大きくて、私の口には入り切りませんでした。
そして順番に私の上にのし掛かるようにして、おちんちんをお股の間にグイグイ擦り付けて射精したんです。
全てが終わったのは夕方でした。
6時間以上も変態オヤジたちのオモチャにされていたんです。
でもそのときの私には、これがどれほど恥ずかしいことか、あまりわかっていませんでした。
それでも、(人には言えないことをされた)くらいは、子供心にも感じていました。
その帰り際・・・。
「また来てもらわんとあかんかもしれん。来んかったら、さっきのんが写っとる写真、皆に見られるで。お母さんや学校の友達に、あんな写真を見られてもええんか?」
あの変質者達は、私みたいな美味しい獲物を簡単には諦めてくれませんでした。
やっと許してもらえたと思っていたあの日が、始まりだったんです。
土日を挟んで3日後の朝、お母さんが仕事に出てすぐに電話があり、「もう少し聞きたいことがあるから、8時まで家に行く」と言うのです。
弟は土曜日から親戚の家に行っていたので私1人でした。
うちの事情をみんな知っているみたいでした。
おじさん達はすぐにやって来て部屋に上がりました。
「少しは反省したんかいな?え?」
「はい。もう絶対、弟にあんなことはさせません」
「君の疑いも、まだ晴れたわけや無いんやで。わかっとるんやろな?」
「そんな・・・。私は本当に知りませんでした」
「まあええやろ。今日は先に家の調べや」
太ったおじさんがお母さんの部屋を、痩せたおじさんが私の部屋へ、それぞれ大きなボストンバッグを持って入って行き、昼まで3時間くらいタンスや押入れをゴソゴソしていました。
その3時間の間、私は居間でおじいさんにいやらしい事をされ続けました。
鞄からビデオを出して観せられたんです。
それは3日前、私がおじさん達に3人掛かりでいやらしいお仕置きを受けたビデオでした。
おじいさんは私の横に座り、私の体を弄りながら、いやらしい事をたくさん言いました。
恥ずかしくて真っ赤になっている私に、「オメコ」とか「チンポ」とか。
そんないやらしい言葉をいっぱい言わせてニヤニヤしていました。
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