父ちゃんが交通事故で1ヶ月くらい入院したとき、母ちゃんと布団を並べて同じ部屋に寝ていた。






夜中に目が覚めたとき、母ちゃんの方から、ピチャピチャという音が聞こえて来た。



指でオマンコを弄っていることは想像できた。



しばらく興奮して眠れなかったが、音がしなくなって俺は眠ってしまい朝を迎えた。



目が覚めたとき母ちゃんは起きて朝飯の仕度をしていた。



くずかごを覗いたら、まだ濡れているティッシュが捨てられていた。



匂いを嗅いだら微かにパンツと同じ匂いがした。






それから1週間後、またピチャピチャと言う音に目が覚めた。



俺のチンポはギンギンに勃起していた。



俺とは反対向きになってオマンコ弄りしていた母ちゃんの横に立ち「母ちゃん」と声をかけた。



母ちゃんはびっくりして起き上がった。






俺は何の躊躇いも無く「俺のチンポで遊んでいいよ」とパンツを下げてギンギンのチンポを差し出した。






そのころ俺のチンポは12~3センチありもう立派なものだった。



母ちゃんは驚きながらも、息子にオナニー現場を見つかった異常な空気の中で俺のチンポにむしゃぶりついた。






母ちゃんは俺のチンポの皮を剥き、溜まったチンカスを綺麗に舐め上げながらもう一方の手で自分のオマンコをピチャピチャ弄り回して昇り詰めていった。



母ちゃんのうめき声と共に俺も一気に母ちゃんの口の中で果てた。






しばらく母ちゃんは俺を自分の布団の中に入れ、長い時間俺を抱きしめたまま黙って興奮が静まるまで無言だった。






「しんちゃん、お父さんにも誰にもナイショだよ。絶対、絶対、誰にもナイショだよ」って、泣きながらぎゅーっと俺を抱きしめた。






本能的に母ちゃんの寂しい原因を察知し、父ちゃんの代わりをしなきゃと思ってとった行動が、とんでもない事であることは小6の俺でもわかる。






「言わないよ、絶対言わないよ」






俺はきっぱり母ちゃんに言い切った。



母ちゃんは「うん、うん」と、まだすすり泣きながら頷いていた。






朝が来て、朝飯を食べて普通に学校に行き、いつもと同じ1日が終わった。






風呂から上がった俺に「今日からは自分の部屋で寝なさい」と母ちゃんは言った。






俺は即座に「父ちゃんが退院するまで一緒に寝る」と言った。






母ちゃんは何も言わずに俺の布団も敷き、いつものように二人で寝た。






「母ちゃん、一緒に寝てもいい?」と返事を聞くまもなく母ちゃんの布団に入った。






暗黙の了解だった。






「母ちゃんのあそこ見ていい?」






母ちゃんは抵抗しなかった。






俺は布団に潜り、母ちゃんの寝巻きの裾を広げた。



プ~ンと母ちゃんのオマンコの匂いがした。



チンポはそれだけでいきり立った。






暗くてよく見えないので、掛け布団をまくり上げた。



そこには大人のオマンコがパックリ口を開けていやらしい匂いを放っていた。



本能的に俺は母ちゃんのオマンコにむしゃぶりつき、匂いを嗅いで舐めまくった。






母ちゃんは「あう~だめ~ダメ~」と言いながらも、べチャべチャにマン汁を垂らしながら昇り詰めていく。






俺ももう我慢ができなくて、母ちゃんのオマンコ舐めながらドクドクと射精していた。






父ちゃんが入院している間、母ちゃんと俺はそんな夜を過ごしていた。



そんな中でも、最後の一線だけは超えなかった。



俺のチンポを母ちゃんのオマンコに挿入することは無かった。



母と息子の究極の理性だったと思う。






しかし、親父が退院してからが俺にとって地獄だった。






当然ながら禁欲状態にあった父ちゃんは退院してから毎晩母ちゃんとやりまくった。



俺が襖1枚の隣で寝ているのも構わずに、ベチョベチョ音まで立てて激しく母ちゃんとハメまくった。



俺は父ちゃんに激しい嫉妬を感じながらも隣の部屋でオナニーの毎日。






ある日、父ちゃんが俺の部屋のくずかごからザーメンを含んだティッシュを見つけ・・・。






「しん!ちょっと来い!お前、もうこんなことしてるのか?まだ小学生じゃないか、センズリかくのはまだ早い!もうするな!」って、めちゃくちゃな理屈で俺を諌めた。






毎晩母ちゃんとハメまくっている父ちゃんには言われたくなかった。



大人とはこんなにも身勝手なもんかとやるせない気持ちだった。






それ以来、俺は、父ちゃんを一人の男と思い、母ちゃんも一人の女と思えるようになった。






いわゆる『親離れ』をしたんだと思う。



そう思った日から、不思議と父ちゃんと母ちゃんがオマンコしても嫉妬心は無くなって、ベチョベチョという音や母ちゃんのすすり泣きは、単なる俺のズリネタになった。






そんな父ちゃんも60を過ぎたし、母ちゃんも58。



俺も36歳になったが、まだ独りもんで父ちゃん母ちゃんと暮らしている。



父ちゃんはもう母ちゃんとハメる元気は無い。






いま、母ちゃんを喜ばせてやれるのは俺。



高3のとき、とうとう母ちゃんとオマンコしてしまった。






中学、高校と彼女も出来ずにセンズリの日々だった。



父ちゃんがいない時は、いつも母ちゃんがフェラして逝かせてくれた。



しかもザーメンを飲み干し、ティッシュは使わなくても良いくらい綺麗にチンポは舐めてくれた。






母ちゃんも時々パンツを脱いで指マンしたり、俺が母ちゃんのオマンコ舐めて逝かせてやることもあったが、最後の一線だけは守っていた。






しかし、高3の夏休み、あることで父ちゃんと大喧嘩になった、俺は本気で家を出ようと思っていた。



父ちゃんが会社に行ったあと、母ちゃんは心配して俺の部屋に来た。






「出て行ったらいかんよ」って俺を引き止めた。






そしていつものように母ちゃんは俺のチンポをしゃぶりだした。



母ちゃんはスカートもパンツも脱いで下半身むき出しにして俺のチンポしゃぶりながら指マンし始めた。



そしていつかは言うんじゃないかという言葉をとうとう口にした。






「しんちゃん、入れてもいいよ」






俺はその言葉をいつからか待つようになっていた。






だからその言葉を聞くとともに速攻で母ちゃんのオマンコをむしゃぶり、ギンギンになったチンポを母ちゃんのオマンコにブチ込んだ。



その頃は俺のチンポは父ちゃんよりデカくなっていて、母ちゃんは父ちゃんとしている時とは比べ物にならない声でよがり、俺の激しいピストンと共に果てた。






それ以来、俺と母ちゃんは男と女になった。



フェラもオマンコも何でもありになった。



急激に父ちゃんと母ちゃんはオマンコの回数が減っていったが、父ちゃんとオマンコした翌朝、続けて俺とオマンコすることもあった。






母ちゃんは一つの屋根の下に二人の男を囲っていたことになる。



父ちゃんは俺と母ちゃんの関係は気付くことは無く真面目に会社に行っていた。






やがて、母ちゃんは父ちゃんとはしなくなり、父ちゃんが時々センズリかいていた。



父ちゃんと母ちゃんの部屋のくずかごにザーメンを拭き取ったティッシュが捨ててあった。






時には父ちゃんが不憫に思えた。



そうやって、今日まで奇妙な親子関係を続けながら暮らしている。






俺はもうマトモな結婚はできないんだろうか?