僕の初めての相手は暢子という高校2年生の女で、書道部の1年先輩だった。
彼女は眼鏡をかけ、真面目な感じで、図書委員タイプといった感じだった。
そんな彼女とは家が近く通学を一緒にしているうちに、付き合うようになった。
そして、僕達は夏休みの部室で初体験をした。
書道部は運動部とは違って、夏休みはせいぜい1週間程度しか練習がない。
そのため、休みの日に暢子を部室に誘ったのだ。
今思えば、もう少し気の利いた場所を選べばよかったのだが、両親が専業主婦で自宅は使えず、ホテルも近所に無かったので、精いっぱい頭を使った結果だった。
部室に入るとカーテンを閉め、ドアに鍵をした。
そして、お互い無言で向き合いキスをした。
しばらく暢子と舌を絡ませ、ポロシャツを脱がし、何の飾りもついていない白いブラのホックを外した。
すると小ぶりな暢子の胸が現れた。
彼女は鳩胸だったため、胸板に乳首が載っているだけの貧乳だった。
乳首は大きく勃起しており乳輪は小さめ、色は茶色で、やや横向きだった。
よく見ると乳輪の周りにはうっすら毛が生えていた。
次にスカートとショーツを脱がすと、ヘアが現れ、ついに全裸となった。
暢子のヘアは非常に濃く、剛毛で、ショーツを履いていたため、逆だっていた。
また、お尻には茶色いアザがあった。
当時、宮沢りえの写真集が話題になった頃で、それと比べると、暢子の裸はお世辞にも奇麗とは言えなかった。
ただ、そんなことはどうでもよく、あの真面目な暢子が全裸で立っている姿を見ているだけで、射精してしまいそうなほどカチカチになっていた。
僕は畳(書道部の部室には座って字を書くために畳がひいてあった)に大きな新品のフェルトの下敷をひき、そこに暢子を座らせた。
そして、自分も服を素早く脱ぎ、暢子の傍らに座りキスをしながら、覆いかぶさった。
部室はエアコンがなかったため、暢子は少し汗をかいていたが、抱き合ったときの密着感と、伝わる体温が、さらに興奮を高めた。
しばらく、キスをしながら乳首を手で触れ、いよいよ茂みをかき分け、手を伸ばした。
あそこは、すでにグショグショに濡れており、酸っぱい匂いが部屋中に漂った。
暢子は毛が濃いためか、俗に言うかなりのクサマンだったが、童貞の僕が知るわけもなく、これが女性の匂いかと感動したものだった(笑)。
僕はいよいよゴムをつけ、暢子のあそこに当てがった。
処女は入りにくいと知ってたので、強めに突いたのだが、場所も力加減もわからない。
クリを思いっきり突いてしまい、「痛っ」と言って身をよじることもあった。
そうこうしているうちに、僕の興奮もすっかり冷めてしまい、萎えてしまった。
すると暢子が「コンドーム外せば、入りやすいかも・・・」と言ったので、ゴムを外して挑戦してみた。
萎えてしまったものを暢子に当てると、ヘアのジョリジョリした感触が伝わり、僕は興奮し半勃ち状態となった。
そして一気に押し付けるとプルンという感じで中に入り、じわっと温かさが伝わってきた。
僕のものは限界まで硬くなってしまい、そう長く続かないことは容易にわかった。
そのため、がむしゃらに腰を振りはじめた。
暢子は色っぽい喘ぎ声を全然出さず、部室には柔道で組手をしているかのような「ハア、ハア」というお互いの息の音だけが響いていた。
挿入して数分もしないうちに射精感に襲われ、ペニスを引き抜くと、暢子はすばやく左手で先を被い、右手でものをしごいた。
これはなるべく体を汚さないようにする配慮だったのだろうが、僕はそんなことに構うことなく、ものすごい勢いで射精をし、暢子の左手から精子がこぼれ落ちた。
これが僕の初体験だったが、後日談がある。
実は彼女が中学3年生のときに家庭教師の大学生と関係を持ち、処女ではなかったのだ。
僕は嫉妬と裏切られた気持ちで一杯になり、暢子を抱く度に「俺より大きかったのか?」「中出しはされたのか?」と聞き、その男に張り合っていた。
また、悔しさから何人かの女と関係を持ってしまったが、暢子とは就職するまで8年間関係が続いた。
暢子は決して女としてのレベルは高くなかったが、僕の中では彼女の体が焼き付き、すべての基準になっている。
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