母がいかに父を忘れて、佐藤の意のままになって行ったかを、少し長くなりますがお話いたします。
始めは、昭和40年の頃ですからもう41年位前になります。
父「義男」39歳。
母「幸子」33歳。
私「順次」10歳(小4)。
佐藤さんは「寛治」と言い、当時、たぶん52~5歳の頃だったと思います。
我が家は代々農家でした。
お祖父さんの頃に片手間に雑貨屋を始めましたが、近所に百貨店などが出来てからは、ほとんど売れなくなりました。
ですが、父と母の人柄のせいか用も無いのに店に訪れる人は多く昼真っから酒盛りが始まるような近所の暇人の寄り合い所のようになっていました。
数件貸家があったので食べるにはそこそこ困りませんでしたが、「そろそろ店をたたんで勤めにでも出ようか?」と両親が話し合っていたときに、近所に住んでいて飲み友達の佐藤さんが「それならよっちゃん、ワシん所の仕事を手伝ってくれんか?」と言ってきました。
佐藤さんは「佐藤組」と言う30人程の人足を使う土建屋で大手の土木会社の下請けをしており、当時はブームになりかけていたスキー場のリフトを設置管理する仕事を専門にしておりました。
当然仕事は、これからスキー場を建設しようと言う地方の山の中ですし、雪の無い4月から雪の降り出す11月頃までの突貫3Kの出稼ぎ仕事(今で言う単身赴任)。
当時は、東海道新幹線も出来たばかりで(まだ『ひかり』も走って無い時代)出かけたら最後まで帰ってこられないどころかこれから開発しようとする山の中ですから電話も無い様な所での仕事です。
そんな訳で父は渋っていましたが、佐藤は毎日のように家に通って来ては、両親を口説いておりました。
しかし、その裏にある佐藤の狙いなどその時の両親には思いもよらないことなのでした。
とうとう父も根負けして、期間は4月から10月一杯で、8月のお盆には一時帰郷出来る事と言う条件で出稼ぎに行くことになりました。
父は3月の終わりに富山の山奥へ出稼ぎに行きました。
その後、父と母は月に一度位のペースで手紙のやり取りをして近況や相談事などを連絡しあっていました。
佐藤の家は我が家の近所に在りましたが、「佐藤組」の事務所は、少し離れた「T市」の駅前にあり、佐藤は月の初めの1~2週間ほどは事務所を中心に仕事をしたり営業に回ったりして残りの月の半分を現場で過ごすということを毎月しておりました。
当時は銀行振り込みなど無い時代でしたので、佐藤が月初めに現場から戻ったついでに父の給料を母に手渡すことになっていました。
5月の初めの夜に佐藤は家を訪れ、母に初めての父の給料を手渡しました。
その際に母はお酒と手料理でもてなしましたが、この辺は田舎のためにそのこと自体は別に珍しいことではなくて、むしろ当たり前のことで誰かが家に訪ねてくればお酒と肴でもてなすのはいつものことでした。
佐藤もいつものように楽しそうに父の近況などを話して帰ってゆきました。
そして次の6月の初めに佐藤がいよいよ本性を現したのでした。
前の日に佐藤より電話があり「明日の午前中に行く」とのことでしたので、母は子供達を学校に送り出してからいつものように酒と肴の用意をして佐藤の来るのを待っていたのでした。
梅雨の前にも関わらず暑い日が何日か続いたときで、その日も朝から真夏のような暑い日でした。
10時過ぎに家に来た佐藤は背広を手に持ち、いつものネクタイを外して全身汗まみれだったそうです。
給料を母に手渡して居間に訪された佐藤は、母に「汗をかいて気持ちが悪いから、行水させて欲しい」と言い、その場で着ている物を脱ぎ当時ではまだ珍しいブリーフ一つになると勝手知ったる家とばかりに風呂場に行きました。
当時、この辺りの田舎でブリーフを穿いている人は、よほどのおしゃれな人で普通は白い綿の四角いパンツ・・・今で言うトランクスか、ふんどしを愛好している人もまだかなりいた時代です。
まだ扇風機があればいい方で、夏に行水で涼を取るのは当たり前でしたし、我が家ではお風呂も薪からやっと石油で沸かすようになったばかりでシャワーなど子供の私など見たことも無かった頃です。
母は佐藤の脱ぎ散らかした服をハンガーに掛けて、タオルと父の浴衣を持って風呂場に行き、佐藤に声を掛け脱衣籠に浴衣を起きましたが、そのとき佐藤の脱いだブリーフが目に留まり思わず手に取り股間の辺りの匂いを嗅いでしまうのでした。
そこには男の汗の匂いとはっきりと判る男根と精の匂いがして、頭がしびれ身体の芯が熱くなる感じがし女唇が濡れて来たそうです。
母は33歳になったばかりで、なおかつ2ヶ月も父と離れて暮らしていたので知らず知らずに身体が疼いていたのでした。
その上突然、佐藤の汗に匂う逞しい男の裸体を目の当たりにして、今まで父親程の年上の佐藤に対して感じたことの無かった『男』を、この時はじめて意識したのでした。
行水をしてさっぱりした顔の佐藤は床の間を背にして胡坐をかいて座りましたが、父より一回り大きな体に父の浴衣は小さく、前がはだけて行きます。
母が驚いたのは、佐藤がブリーフを穿いていなかったことでした。
ビールをうまそうに飲みながら、いつものように口の上手い佐藤は明るく楽しそうに話をしていましたが、身体が動く度に浴衣の前がはだけて行き、とうとう股間の男根が丸見えになるのでした。
(私に言わせれば、この事は最初から佐藤が計算しつくしたことで、わざと母に見せながら母の反応を窺っていたのでしょう。)
佐藤の男根は半立ちの状態でしたが、赤黒くえらを張って血管を浮き上がらせたそれは父の男根より一回り以上もたくましく今までに見たことも無い立派な物だったと言います。
始めはチラリチラリと見え隠れする男根を、ドキドキしながら盗み見ていた母でしたが丸見えになったときはさすがに顔が赤くなって喉がからからになり頭の中がボッとなり何も考えられなくなりました。
佐藤はその時を待っていたのでしょう、いきなり母の右手を掴むと自分の方に引き寄せ男根を握らせたのでした。
突然手を引かれた母は、佐藤の方に倒れこみそうになり、慌ててそこにあるものを掴んだら佐藤の男根だったのでした。
母が「ハッ」と思ったときには、佐藤に肩を抱かれ身動きできない状態で唇を吸われ、佐藤の舌が母の唇の中に入り込もうとしています。
母は思わず顔を振り「だめよ、だめ!やめてください!」と拒もうとしましたが、佐藤がガッシリと身体を抱え込んでいるため動くことが出来ません。
「サッチャンいいじゃあないか、わしは前からサッチャンのことが好きでたまらなかったんだ」
そう言うと佐藤は、右手で母のプリーツスカートをまくり上げパンティーの上から女唇をさすり上げるのでした。
すでに母の女唇は濡れていてパンティーに染み出しており、それを佐藤に知られるのが恥ずかしい母は、手で払いのけようとしますが男の力にはかないません。
「ほほーほら、もうこんなにオマンチョが濡れているじゃあないか?え?サッチャンもしたかったんだろ?」
「いや、いや!お父さんにしかられます!もう止めてください」
「なーに、黙っていりゃあわかりゃーしないよ。・・・それによっちゃんだって、あっちでいい女と毎日うまい事やってんだから」
後で解かることですが、佐藤は母を口説き落とすために父が浮気をしていると嘘を言ったのでした。
そしてこの後、佐藤は母に会う度に父が浮気しているとささやき続けるのでした。
「えっ?本当ですか?」
しかし母にとってその言葉は衝撃的でした。
父に限って浮気をするとは考えても居なかった母です。
一瞬気が緩んだ隙に佐藤は母の唇にキスをすると、手をパンティーの中に入れ、直に母の潤った女唇の中に指を入れるのでした。
「な、な、だから一回だけ、一回だけでいいから、なっ、ないしょで、な、分からないから」
そう言って佐藤は母の女唇を愛撫しながら、クリトリスを擦るのです。
久しぶりの快感に母は思わず「あんっ」と仰け反るのでした。
その時まで久しぶりに見た男の男根に女唇を濡らしていた母でしたが、さすがに佐藤とセックス(当時は、まだセックスと言う言葉は一般的に使われていなかったようで、性行為のことは「性交」とかこのあたりの田舎では、単純に「おまんこする」とか「一発やろう」と言っていたそうです)するとは夢にも思っていなかったそうですが、「夫が浮気している」と言う佐藤の言葉で母の心の貞操が、崩れてしまうのでした。
その時になって母は、無意識に握っていた男根が、一段と硬く太くそして熱く脈打ちだすのを感じたのでした。
『お父さんも楽しんでいるのだし一回だけなら・・・ないしょなら・・・』
・・・と言う思いが頭の中をよぎると同時に、佐藤の愛撫によって付けられた体の中を焦がす淫炎は、もう消すことが出来なくなっているのでした。
そうして何も考えられなくなった母は、自分から舌を佐藤の口の中に差し入れるのでした。
佐藤の愛撫が激しさを増してゆきます。
母はあまりの気持ちよさに思わず「あっ、あー」と仰け反り右手の男根を上下に擦るのでした。
「ほほーサッチャン、後から後からお汁が溢れ出てくるよーいいかー久しぶりかあー?」
「あっ・・あっ・・だめ、だめよ」
そう口では言ったものの身体は熱く佐藤の愛撫に反応してゆきます。
佐藤の指が「クチュクチュ」と卑猥な音を出す頃には、とうとう母はノースリーブのブラウスの前ボタンを自ら外して、ノーブラの豊満な乳房をさらけ出して佐藤の唇の前に持ってゆくのでした。
「ねー・・ねえー・・・一回だけよ、ねーやくそくよー・・あん・・いっかいだけよーー・・ああん・・・」
佐藤が母の敏感に勃起した乳首を舌で転がすように吸い上げる頃には、久しぶりの快感にもう何も考えられなくなっており、パンティーをいつ脱がされたのかも判りません。
気が付いたときには、畳の上に寝かされ佐藤が上から身体を抱きすくめてその太く凶暴な男根を、母の女唇にメリメリと入れようとしている所でした。
「あっ、いっ・・いたいー・・だめっ・・・だめよっ・・・太すぎて入らないわっ・・あっ・・いたいー・・・こわれちゃうー・・きゃーっ・・・あうん・・ふー・・あんあんあーー・・いいーー」
佐藤の太い鎌首の部分が入ったとたんに今までの痛みが嘘のように消え代わりに今までに味わったことの無い内臓をかき回されるような快感が、全身を包み込むのでした。
「あん、あん、いい、いい、ああー・・ああ・・・もうっ・・もうだめ!だめー!いくっ・・んあん、あ、あ、あー」
久しぶりのセックスの為ばかりではなく、初めて味わう佐藤の太い男根の刺激に母は「あっ」と言う間に一度目の絶頂を迎えました。
しかし、そんな母をお構いなしになおも佐藤は母の女唇を貫き続けます。
オルガスムスの余韻に浸る間も与えられず、佐藤に責めさいなまれるうちに母の女唇は、又アクメの階段を上り始めるのでした。
父とのセックスでは、一回にせいぜい一度か二度しか行くことは無くて父もその位で射精しセックスを終わらせる、と言うのが両親のセックスの形で別段それが当たり前と思っていた母にとって佐藤のセックスはその男根のすばらしさ以上の驚異のものでした。
母を何度も何度もアクメの絶頂に追いやっても一向に射精する気配が無く、次々と母に色々な体位を取らせてただひたすらその凶暴な男根を女唇に打ちつけ母の行くのを楽しんでいるようでした。
母も一時、行くことが苦痛に思われた時も有りましたが、それを乗り越えた時に今まで経験したことの無い最高の快楽の世界に足を踏み込んだ気がしたのでした。
母の肉体は、行っても行っても行き続けて、果てしの無いアクメの連続を味わっていたのです。
母が上になった時も気持ちではもうこれ以上は無理で終わりにしたいと思っていても、母の女唇は益々佐藤の男根を貪りたがり、勝手に腰が激しく前後左右に動き、もう自分の意思では止められなくなっていたのです。
あまりの気持ちよさに時間も空間も何もかもがなくなり、いつしか母は夢の中にいました。
母は、その時生まれて初めて快楽のあまり気を失ったのでした。
どれ位時間が経ったのでしょうか。
けだるい気持ちよさの中で目覚めたとき、一瞬今は朝かと思い「はっ」として母が目を開くとそこは見慣れた居間でした。
そして自分が素っ裸で畳の上に寝ていることが判ったときに「ああ、さっきまで佐藤さんと素敵な『おまんこ』していたんだわ」と、甘い気持ちになるのでした。
起き上がろうとしても腰に力が入らず、首だけ回してあたりを見回しますが、すでに佐藤の姿は見当たらずハンガーに吊るしてあった服も無くなっておりました。
佐藤は、気を失った母をそのままにして自分だけ満足するとさっさと帰ったのでした。
その事からも佐藤の薄情さが伺われるのに、単純で浅はかな母は、その後もまったく佐藤の本性を見抜くことが出来ないのでした。
柱時計を見るとすでに三時を回っており「いけない、子供たちが帰ってくるわ」と、慌てて起き上がる母の股間に「どろっ」と何かが流れ落ちるのでした。
見ると母の女唇から白い液が流れ出しております。
「いやあーー!」
頭の中が真っ白になった母は、慌てて立ち上がると風呂場に駆け込み股間を激しく洗うのでした。
一目見て佐藤の精子だという事がわかります。
佐藤はひどい事に中出しをしていたのです。
「・・・ひどい!スキンを着けてくれなかったんだわ!・・・出来ちゃったらどうしよう・・・」
(当時はまだこの辺りの田舎では「コンドーム」とは言わずに「衛生サック」あるいは「スキン」と言ったそうです。)
母は洗濯機に水を張るためのホースを蛇口に付けてその先端を女唇に当てて中まで洗うのでした。
水の冷たさが身体の中にしみてゆきます。
それと同時に言いようの無い後悔と恐怖が起こるのでした。
「・・・赤ちゃんが出来たらどうしよう?・・・お父さんに知られたらどうしよう?・・・」
『離婚』と言う言葉が頭の中をよぎるのでした。
「・・・何て馬鹿なことをしてしまったのだろう・・・」
それからの母は、毎日毎日そのことだけを考えていました。
「7、8、9月には妊娠がはっきりするわ。10月にはお父さんが帰ってくるからその前におろさなくちゃ」
「ああ、でもお盆には、お父さんが帰ってくるし、ばれないかしら?」
母が一人で悩んでいるときも佐藤は、あれから電話一本寄こさないのでした。
でも幸いなことにそれから一週間を少し過ぎた頃生理が始まり母はようやく安心して日々を送れるのでした。
「もうあんな怖いことはたくさんだわ。それに一回きりって約束だから、佐藤さんもないしょにしてくれるわ」
・・・と、はじめのうちは心に誓う母でしたが、根が開けっぴろげで物事を深く考えたり悩んだりしない性質なので、「喉元過ぎれば・・・」の例えのように、夜の一人寝の寂しさに手がつい女唇を触りだすと、頭に浮かぶのは佐藤のたくましい男根とあの日のめくるめくセックスのことなのでした。
そんな母を見透かしたようにその月の終わりに佐藤から電話があるのでした。
子供心に『母と佐藤が浮気していると気付いていた』と前にも言いましたが、その沢山有る理由の一つがこの電話なのです。
佐藤は日頃父や私たちの前で母を呼ぶときは「サッチャン、サッチャン」と愛称で呼んでいました。
ですが、ある時から昼や夜に電話を寄こした時など私が出ると急に取り繕ったように澄ました声を出して「あー、おくさん、いますか?」と言うのです。
本人は明らかに『佐藤』だと判らないように言っているつもりなのでしょうが、佐藤は福島県か茨城県辺りの出身らしく訛っているので、いくら標準語をしゃべろうとしてもイントネーションの違いと、独特の鼻にかかっただみ声で佐藤だと言うことは明白でした。
まだ小、中学生だった私には、浮気だの性交だのと言葉では知っていても自分の両親にはなかなか結びつきませんでしたが、その電話に出た母の態度はいつもの明るさが無く、妙に言葉少なに小声になり私たちに聞かれたくなさそうで、なんとなく秘密めいていて『変だな?』と子供心にも思っていました。
その後、自分が大人になっていろいろ解ってきたときに『そういえばあれはおかしかった。これは変だった。ああ、あのときに母は浮気したんだ』と納得することがたくさんあったのです。
佐藤からの電話は「この間はすまんかったな。お詫びに昼飯でもご馳走するから月初めにT駅の前まで来てくれないか?そのときに給料も渡したい」と言うものでした。
母は一応「この前スキンを着けてくれなかったでしょう?もう心配しちゃったんだからひどい人ね。・・・もうご馳走だけじゃあすみませんからね。・・・それとこの間のことは、絶対ないしょにしてくださいね。お父さんに知られたら離婚させられちゃうんだから」と言ったのです。
母の中では約束どおりもう二度と佐藤とセックスすることは無くて、あの時の事は過ぎ去った二人だけの甘い秘密にしようという思いがあったのでした。
しかし、佐藤はそんな事で済ます気はさらさら無かったのでした。
T駅には佐藤組の事務所があり佐藤にとっては都合のよい場所なのでしょう。
午前11時という約束の時間よりかなり前に母が駅前に行った時にはすでに佐藤が待っていました。
T駅の北口は都市再開発が進み有名なデパートが立ち並んでおります。
その中の老舗のMデパートのバック売り場に母を連れて行った佐藤は、プレゼントするからと母に好きなバックを選ばせました。
母は幾つかの合皮とビニール製のバックを持っており、よそ行き用として一つだけ皮製のバックを持っていましたがだいぶ古くなっていました。
「何でも好きなものを買ってやる」と言う佐藤の言葉に、
「ちょっと高級な皮製のバックが欲しいんだけれど」と遠慮がちにねだったところ、
「サッチャンにはこっちが似合うんじゃあないか?」と鰐皮で出来た茶色のハンドバックを指差すのでした。
当時、鰐皮のハンドバックと言えば今で言う高級ブランド品のバックのようなもので、女性の(まして母のような田舎出の女には)憧れの的だったのです。
もう、そのことで母は有頂天になってしまったのです。
憧れのバックを胸に母は夢の中にいるような気持ちになり、佐藤の後を付いて行きT駅の南口にある高級レストランに連れて行かれました。
当時、南口は再開発が遅れていて飲食店などがひしめき合っていました。
レストランと言えばデパートに在る展望レストラン位しか知らない母にとって、本格的な雰囲気のあるレストランで食事をするなど生まれて初めての経験で、それこそ今で言うセレブな奥様になったような錯覚を覚えるのでした。
このことは、全て佐藤が女を落とす為の常套手段だったのでしょう。
佐藤はどうすれば相手の女が、自分から佐藤の腕の中に抱かれに来るか全て知り尽くしていて、知らず知らずに母の心を虜にしていったのでしょう。
後に父が仲間の人足達から聞いた話によると、佐藤は自分の所で働く出稼ぎ人の奥さんで気に入った人を見つけると、自分の愛人にしたくなる性格らしいのです。
実際に佐藤の毒牙に掛かった人妻は、十人ではきかずに離婚の修羅場を向かえた人妻も片手ではきかなかったという噂でした。
しかし佐藤は、そうしてせっかく愛人(妾)にしてもすぐに飽きて棄ててしまうと言う酷い男だったのです。
後で私が思ったのは、佐藤と言う男は『人妻』つまりは他人の女房を寝取ることが生甲斐の様な男だったのでは無いか?・・・と思えるのです。
ですから、相手が離婚して自分のものになったとたんにもう興味を失い、次の獲物を狙うのだと思えるのです。
そんな佐藤にとって親友の妻である母は、とてもすばらしい獲物だったのでしょう。
そんな噂話を聞いても、父にしてみればまさか昔から住んでいる地元の、それも二十年来の友人の妻に手を出すとは思ってもいなかったのでした。
そんな女を落とすことに長けている佐藤にとって、よく言えば世間知らずで人を疑うことを知らない初心な母、悪く言えば物事をあまり深く考えない開けっぴろげで浅はかな母を垂らし込むことなど、赤子の手を捻るより簡単なことだったのです。
佐藤の思惑通りにビールの酔いも心地よく、夢の続きを見ているような気分になっている母は、買ってもらったバックを胸に大事そうに抱えて何の疑いもせずに佐藤の後を付いてゆき、裏通りのモーテル街の中の一軒へ入ってしまうのでした。
(当時は、一般的に「モーテル」と言う言葉は無く「連れ込み旅館」と言い看板に“温泉マーク”が付いていて、別名「逆さクラゲ」と言った。)
離れ屋にお風呂もトイレも付いていて、当時の連れ込み旅館としては上等な部類だったそうです。
蛇口を捻れば湯船にお湯が出て、シャワーまで付いているタイル張りの明るい浴室に、母は益々セレブな気分になり喜びはしゃぐのでした。
床の間付の前室には小さいテーブルとテレビまであり、半分開いた襖の向こうには赤い上掛け布団を半分めくった床が延べてあり、白い枕が二つ並んでいて、これからここで行われる淫らで淫乱な行為が想い起こされ母は顔が赤くなるのを隠せませんでした。
初めてモーテルに入った母は見るもの全てが珍しく、また淫靡な感じがして興奮しておりました。
もう二度と佐藤と過ちを犯さないと今朝まで硬く誓っていたのに、今では佐藤のたくましい腕に抱かれて「あの素敵なオチンチンでオマンコを貫かれあの忘れられない『おまんこ』を一刻も早くしたい」と思うのでした。
佐藤に促されるようにお風呂に入り、夫以外の男とお互いの身体を洗いあい自然にくちづけを交わし、湯船の中で後ろから抱かれ愛撫されると・・・もうそれだけで母は一度目のアクメを迎えるのでした。
お風呂から出ると佐藤はビールを片手にして素っ裸のままテーブルに座り、素っ裸の母を股の間に座らせて「サッチャン、尺八をしてくれないか?」といきり立つ男根を母の目の前に突き出すのでした。
母は恥ずかしかったけれども前から一度佐藤の太くたくましい男根を口で味わいたいと思っていたので目を瞑り素直に口に含みました。
佐藤の男根は思っていた以上に大きくて、小さな母の口では亀頭部を含むだけで一杯になるのでした。
「おおーいいぞサッチャンうまいぞああーきもちいいーもう少し舌を筋に這わせてくれんか?おおそうじゃ好い気持ちだ。サッチャンしゃぶるのうまいなー最高だなー」
佐藤は母を誉めまくりました。
誉めながら段々に自分好みの女に仕上げてゆくのが佐藤のやり口なのでしょう。
傍から聞いていれば佐藤の思惑などすぐに判りますが、佐藤の意のままになりつつある母にはその時はわからなかったのでしょう。
母は佐藤に誉められる度に嬉しさが込上げてきて、もっともっと佐藤に喜んでもらおうと思ったそうです。
佐藤に誉められるまま竿を舐め、袋を含み、喉の奥にくわえ込んで一生懸命顔を前後させ、佐藤の喜ぶことを積極的に行うのでした。
それから後も佐藤は事ある毎に母に尺八を始め、色々な事を教え自分好みの女に調教してゆくのでした。
「さあー、そろそろ嵌めてやろうかな。サッチャン、ワシの太いチンボが欲しいじゃろ?」
母も早く佐藤の男根を女唇に入れたかったけれどもその前に言っておく事がありました。
「ねー佐藤さん、今日はスキンつけてくださいね、お願いよ、赤ちゃん出来たら困るから」
母は前回、佐藤に中出しされた事に懲りていました。
「ああーそうじゃったな、でもなワシは、あのサックって奴が嫌いでな、やっぱり生で嵌めないとやった気がしないでな。だから今日から、サッチャンこれを付けてくれ」
そう言って佐藤は、自分のかばんの中から箱を取り出して母に渡すのでした。
その箱の中身は『ペッサリー』と言う女性用の避妊具なのでした。
ペッサリーとは、ゴムで出来ていて大きい輪ゴムの太目の輪に薄いゴムがはってありまるでゴムで出来た「フリスビー」か「ベレー帽」の様で、それを女性の膣の中に細長く織り込んで指で入れて子宮口の周りを帽子の様に覆い、精子が子宮の中に入らないようにする言わば女性用のコンドームです。
母も知ってはいましたが実際に手に取るのは初めてでした。
手の平に丁度乗るような大きさのペッサリーを掴むと、絵を見て説明書を読みながら立った状態で片足をテーブルに持ち上げ、股を開き自らの手で女唇の中に入れるのでした。
ゼリーを付けたため比較的簡単に入りましたが、たとえゼリーが無くても「スルリ」と入るほど母の女唇は淫汁で溢れておりました。
それより何より佐藤という夫以外の男の前で自ら股を開き『おまんこ』を楽しむための器具を女唇の中に埋め込むと言う行為自体が卑猥で恥ずかしく、それゆえ益々お腹の底から快感が湧き上がって来るのが感じられたといいます。
佐藤は自分勝手な男ですから自分では避妊するのが面倒だし、生で嵌め精子を中出ししたいが為に常に相手の女に「自分で避妊しろ」とペッサリーを渡すのが常だったのでしょう。
ペッサリーは避妊を自分勝手な男任せにせずに女性が確実に避妊をコントロール出来るという点で優れた避妊法ですし、慣れれば簡単に装着でき、なおかつ水洗いすれば何回も使え(2~3年は繰り返し使える)経済的ですし「ピル」の様に副作用の心配も要らない。
こんなに女性にとっていい事ずくめの避妊法が、なぜ欧米の女性のように(欧米ではコンドームよりもポピュラーな避妊法らしい)日本では流行らないのか?と言うと、ペッサリーを装着する場所が『子宮頸口』と言って膣内の子宮口の周りをぐるっと取り囲む溝にペッサリーのゴムの外枠をはめ込む構造だからで、この子宮頸口はその大きさに個人差があり、自分の子宮頸口の大きさを知るには専門家(産婦人科の医師あるいは助産婦など)に測ってもらい、自分に一番合った大きさのペッサリーを選ばなければならないからです。
・・・にも関わらず、佐藤はそんなことは一切せずに「まあこんなものだろう」くらいの気持ちで、母にいい加減な大きさのペッサリーを渡したのです。
このことは後で、私が母に指摘したところ「へえー?そうだったの?」と言い、全然考えてもいなかったようです。
まぁ、妊娠しなかったところを見ると偶然大きさがあったのか、さもなければ何人もの女性に「ペッサリー」を付けさせた経験から一度自らの男根で味わった膣の中の構造など佐藤には手に取る用に分かったのでしょうか?
いずれにしても浅はかな母はそんなことを一切考えず、これさえ付ければ妊娠の心配をせずに佐藤と思いっきり淫らで素敵なおまんこが楽しめると喜んで付けていたのでした。
しかし、母が喜んで付けていたこのペッサリーこそが、その後、母の浮気の決定的証拠として父に突き付けられようとは、佐藤の太い男根でおまんこすることしか頭に無いこの時の母には思いもよらない事だったのです。
子供心に『母が浮気をしていると気付いていた』理由が幾つかあるとい言いましたが、この『ペッサリー』もその一つでした。
当時私は小学校の四年生でしたが、家の近所に『おさむちゃん』と言う二つ上の男の子がいて毎日一緒に遊んでおりました。
彼の父親は若い頃みんなから『チンピラ』と呼ばれ、『やくざ』にはなりきれない与太者として肩で風を切っているような人でした。
その奥さんで、おさむちゃんの母親の左の二の腕には『◯◯命』と刺青があるような・・・子供心にもすごい夫婦で、世間体など何処吹く風とばかりに昼真からセックスをしているような夫婦でした。
おさむちゃんはそんな両親の息子でしたので、今から思えば小学校六年生でしたが、性にに対しての興味と知識は相当なもので、私を含めて近所の子供たちの今で言う性教育の先生でした。
私も彼から色々な性知識を学びましたが、まだ小学生の四、五年生では身体のほうが付いて行けず、『センズリ』を教わっても、おさむちゃんの様にオチンチンの先から白い液など出ず、ただただ耳学問で終わっておりました。
ですが、その時に見聞きした事が後で重大な事だと解るのでした。
そんな彼がある夏の日、私の家に遊びに来て台所の冷蔵庫の上に置いてあったペッサリーを見つけて、「これはおまんこするときに、女がオマンコの中に入れる女のサックだ」と言って、箱の絵を見せながら教えてくれました。
(今から思うとあまり深く物事を考えない母が、入浴の時にペッサリーを外し、洗ってから浴室を出たところにある冷蔵庫の上に置いて、いつも乾かして陰干しをする事にしていたのでしょう。)
箱の絵は、女性が片足を台の上に上げ、股を開きオマンコに自ら挿入している図と、女性器の断面図が描いてあり指でペッサリーを子宮口に被せる様子が描かれてありました。
四年生の私には、セックスのことはよく解りませんでしたが「おまんこの中はこうなっているんだ」と、妙に興奮したのを夏の暑さと一緒に覚えておりました。
五年生の夏にも冷蔵庫の上に乾かしているペッサリーを何度か見ましたが、その時はすでに箱は無く、ペッサリー自体もなんとなくあめ色に艶が無く、くすんで使い古された様になっていたのを覚えております。
私が高校生になった頃、ある雑誌でペッサリーの記事を読み『そう言えば家でも前に良く見たな』と思い出し、『ああ、あの時母はセックスをしていたんだ』と納得するのでした。
「あれは『おさむちゃん』に教わったんだから、小四か五の時だったな?」
(おさむちゃんは私が小学校六年生の時、台風の次の日に面白がって近所の川へ泳ぎに行って、溺れて亡くなっていました。)
私はその後で重大な事に気が付いたのでした。
私が、小学校四年と五年の時には、父は出稼ぎに行っており、あの夏の暑い日に家には居なかったのでした。
母は一体誰とセックスするためにペッサリーを着けていたのかと・・・。
今日も母は、佐藤の太く凶暴な男根からすばらしい肉体の快楽を思う存分味わわされるのでした。
前回は自宅で、それも母にとっては思いもよらない突然のセックスだったので、自分から楽しむというよりは『佐藤に無理やり犯された』という感じでした。
ですが、今回は最初からセックスを楽しむための部屋で自らも楽しもうという気持ちで佐藤に抱かれる母だったので、最初から恥ずかしい位に大声をあげ乱れるのでした。
「かわいいなあー幸子はほんとに可愛いなー食べてしまいたいよ。ああーいいオマンチョだなー気持ちいいぞー」
佐藤は小柄な母を抱きしめながらその太い男根で母の女唇の中を楽しむようにゆっくりと出し入れするのでした。
母は佐藤の逞しい身体に両腕でしっかりとしがみつき、膣の中を無理やり一杯に押し広げては快感をかき出すように出入りする父のとは比べ物にならない佐藤の男根から湧き上がる震えるような快感に、自らの腰を激しく動かしあえぐのでした。
「あん、気持ちいいわーこんなの始めてよーー!さ、佐藤さんのオチンチン素敵だわーあん、あん、もう、あたし、もうだめになりそうよーー」
佐藤はそんな母をじらすように一段と挿入をゆっくりし母の唇を舐めるようにキスをするのでした。
「可愛いなー幸子は、ワシは幸せ者だーな、こんないいオマンチョに嵌められるなんてもうワシは幸子を放さないぞー、幸子、ワシのチンボはいいだろ?え?どうだ?義男のチンボよりいいじゃろ?」
佐藤はそれまで母を「サッチャン」、父を「よっちゃん」と呼んでいたのに、母がすでに自分の女になった事を確信したのか、母を「幸子」父を「義男」と呼び捨てにするようになったのです。
「ああーーいいーー佐藤さんのオチンチンのほうがすてきーーあん、もうあたしだめになるわーお父さんのよりいいーー!ああん、あたし、佐藤さんのオチンチンのとりこになりそうよー・・ねえ、ねえ、もっといっぱい突いて、もうあたしを行かせてーー!」
母は自分から股を大きく開いて腰を突き出しより深く佐藤のペニスを味わうのでした。
「そうかー行きたいかーじゃあ、思いっきりワシのチンボで狂わせてやるぞ」
そう言うと佐藤は、激しく腰を出し入れし膣の奥まで突きまくるのでした。
「ああん、ああいい、いいー奥まで当たるわーきもちいいーーきもちいいのーーもう、もう、いくーー」
母が行きそうになると佐藤は腰を引いて男根を抜いてしまうのでした。
「あん、いじわるしないでーねえお願いよ、いかせてよーー」
母は、腰をせり上げます。
「いきたいかあ?幸子行きたかったらワシの事をこれから『旦那様』と呼ぶんだ。そうして『幸子は旦那様の女です』って言え」
「あん、だんなさまー幸子は旦那様の女ですーーいかせてー行かせてくださいー」
それを聞いてから佐藤は再び男根をゆっくりと母の女唇に入れるのでした。
そしてゆっくりと出し入れしだすと・・・。
「幸子これからは、ワシの息子をチンボと言え。そいで幸子のここは、オマンチョと言うんだ。解ったな!」
「あん、わ、解りました・・だんなさまーあん、あん、いいーーねえーねえ、もっと・・もっと突いて奥までついてー」
「何を、何処へだ・・ほら、ちゃんと言わないとまた抜いちまうぞ」
「あん、意地悪しないで、オチン・・旦那様のチンボで、あたしのオ、オマンチョ、ついてーー!」
「ようーしワシのチンボで幸子を狂わしてやる、ほら、どうだ!どうだ!」
「ああん・・・いいーーいく、いく、いくーー」
こうして母はこの日二度目のアクメを迎えるのでした。
佐藤は、父と母が長年かけて築いてきたセックスで母に染み付いた癖を、佐藤の男根と言葉による「飴と鞭」で、少しずつ自分好みの女にするために変えさせてゆくのでした。
佐藤は、こうして段々と母の身体や言葉の使い方を自分好みの女に調教してゆくのですが、母には自分が佐藤好みに調教されている意識は無いのでした。
「可愛いなー幸子は、ほんとにかわいいなーーワシは幸せ者だぞ、幸子これから毎日ワシが抱いてやるぞ、うれしいか?」
次に騎乗位になった母を下から突き上げながら、佐藤が母の乳房を愛撫します。
「えっ・・毎日?」
「そうだ。な、明日もまた今日と同じ時間に来るんだぞ、うれしいか?」
「あん、うれしいー、明日も旦那様に抱いてもらえるなんて、あたし、しあわせだわー」
この時の事を母は、父の居ない寂しさを、思いがけずに佐藤が埋めてくれているだけで、別に浮気をしているのでは無く、事ある毎に佐藤が耳元でささやく『父の浮気』の話を疑いもせず信じ込み、「お父さんも他の女の人と楽しんでいるのだから、おあいこだわ」と思っていたそうです。
そうして父が帰ってくれば佐藤と二人で口をつぐんで、知らない顔を決め込んで、また父と普通の夫婦生活に戻れると単純に思っているのでした。
しかし、今日もまた際限の無いアクメの連続を味あわされ失神する母は、佐藤の思惑通りに『もう佐藤無しでは生きて行けない』と思うようになるのに、そう長い時間は掛からないのです。
そして『明日』から、佐藤の母に対する本当の『調教』が始まるのでした。
母と近親相姦の関係になってからすぐに私の自宅で昼間から淫らなセックスを楽しんでいた時「母さんは、親父や佐藤と『SMプレイ』をしていたんだろう?」と母に聞いた事があります。