25歳のOLです。



今から8年前の高校2年の夏、まだ処女だった時のことでした。



両親が離婚した直後の夏休み、母に連れられて露天風呂のある山間の温泉旅館を訪れたときの出来事です。






チェックインした後、2人で近くの山を散策し、全身から吹き出した汗を流すために温泉に入ったのです。



そんなに広くもないけど麓の町を一望できる展望風呂。



外へ通じるドアを見つけ、露天風呂を発見し、沢山の大きな岩で囲まれた湯船まで10メートル程の石の階段を下り、お風呂で何気ない会話をしていました。






母は当時39歳、ボン・キュッ・ボンなスタイル。



それに比べて私はまだAカップの貧乳でした。






程なくして数人の男性の声が聞こえてきました。



私たちは、近くに男湯があるのだと思い、聞き流していました。



開放的な気分だった母と私は、下りて来た階段の方へお尻を突き出すような格好で景色に見入っていました。



何か妙な気配を感じ振り返ると、オジサン達に囲まれていました。



あまりの驚きに声も出ませんでした。



胸を隠しうずくまる事しか出来ず、それは母も同様でした。






オジサン達は軽く出来上がっていて、怯える私たちにハイテンションで襲い掛かってきました。



2、3人のオジサンが母を洗い場に連れ出すと、沢山の手が私の両手足を押さえ込み、両脚を広げると恥ずかしい所を見られ、指で広げては代わる代わる舌を這わせて来ました。






「イヤー!やめて!ママ助けて!」






何度も泣き叫びましたが母の姿は見えず、「やめなさい!娘から手を離しなさい!」と聞こえるだけで、母も身動きが取れなくなっていたようでした。






オジサン達の行為はどんどんエスカレートし、初めて目にした男性器を握らされて強引にフェラチオをさせられました。



そして次々と全身に精子を浴びせられ、口の中に出されたものを飲まされもしました。






しばらくすると私と母は脱衣場に連れて行かれ、濡れた素肌に浴衣を纏わされて、オジサン達の部屋へ引きずるように連行されました。



母がオジサン達と取引し、私にだけは手を出さないようにしてくれました。



部屋へ着くと私は帯で縛られ、自由を奪われました。



そんな私の前でオジサンたちが次々と母をレイプしました。






母も最初は嫌そうに受け入れていたのですが、犯され続けるうちに様子が変わってきました。



気持ちの篭った声を出すようになり、上になって自ら腰を動したり、挙句にお尻の穴まで許してしまい・・・。



私はただ怯え、震え、涙を流すだけでした。



それはとても長い時間でした。






もう最初の約束など反故にされていました。



1人のオジサンが私にフェラチオを強要し、髪の毛を鷲掴みして、嫌がる私の口にねじ込んできました。



次第に私の周囲にオジサンが増え、私は縛られたまま浴衣を捲られ、胸もアソコも舌が這い、悔しいけれど体が反応してきました。






「乳首が勃ってきたぞ」



「濡れてきたんじゃないか」






卑猥な声と笑い声が聞こえます。



オナニーさえしたことのなかった私ですから、オジサン達から受ける刺激は耐えられたものではありません。



傍らでは、私のピンチに気付かずに腰を振って卑猥な声を出す母の痴態があり、私も次第に腰が動き出してしまい、それを見逃すオジサン達ではなかったのでした。



アソコに舌とは違った感触を感じると、好きな人に捧げたい一心で守り続けた処女を一気に奪われました。



鈍い痛みが続く中、最初のオジサンは動きを速めました。



お腹の中に熱い衝撃を感じました。



オジサンは少し私の上でぐったりして、縮んだ性器を抜き取ったのでした。






それから何度も何度も別のオジサン達が私の中に吐き出しました。



いつしか私も本気で母と同じように声を出し、上になったり四つん這いになったり、色んな格好をさせられました。



最後は母が私の上になってアソコから流れ出る沢山の精子を舐め尽したのですが、私の目の前にある母のアソコとお尻の穴からも沢山の精子が溢れていて、私もそれを口で処理させられました。



オジサンたちに「母娘レズ」と揶揄されながらも、シックスナインの体勢でお互いのアソコに口を付け、精子を吸っては飲んでいました。






私は無事でしたが、母は妊娠しました。



中絶した後、母は人が変わったように男漁りに走り、今では本番ありの風俗の仕事をしています。



私と一緒に。