自分が9歳のとき父が病★し、母と親子二人の貧乏な暮らしが始まりました。






高校になり、連れの家でエロ画像を見て、大人はこんなことをするんだっていうのを知りました。



夜中トイレに起きると、隣の母の部屋から忍び泣くような声が漏れ、母がオナってるのだと判る日もあったのに、何故か母を抱こうと思うことはありませんでした。






高校を卒業した夜、母が今まで食べたことがない肉汁たっぷりのステーキで祝ってくれました。






風呂上りにTVみてたら、バスタオル巻いた母が自分の横に座り、「友達みんな大学行くのに、貧乏だから行かせてあげられなくてゴメン」と泣きました。






それで私に寄りかかってきて、変な雰囲気になりました。



バスタオルがはだけ、巨乳と陰毛が見え、母の手が太股を撫でると、股間が硬くなりトランクスの横からチンコを触り、上下にスライドさせます。






もうMAX状態で「母さん出ちゃう」と。






母は精子を飲み干し、私をソファに押し倒し、「まだできるよね」と上に乗りました。






あそこはもうぐちゃぐちゃに汁が溢れていました。



母は私の童貞を食べるつもりでタイミングを図っていたそうです。



世の中で一番美味しいものは女だというのを初体験し、翌朝まで繋がってました。






思ってもいなかった禁断の関係に狼狽えました。








母は「42歳の女盛りを、誰にも抱かれず我慢してきたから、こう君も社会人になったし、絶対秘密の愛人として抱いて」と言いました。






今年で10年、母と交尾してます。






母は156cmしかないチビで、タレントの柳原みたいな体型のデブで、ウエストはありません。



顔は彼女には全く似てないブス系かな。胸と尻がデカイ。



10年も抱いてるとデブ専門になりました。






私を襲った41歳から淫乱な女で、気持ちのいいことなら何でもする人でした。






「生理の日には後ろの穴使ってもいいよ」と言うので両穴使ってます。






淫乱に調教した父の中古を引き継いだってことですね。






母は「お父さんが復活したみたいで嬉しい」と言います。






チンコはお父さんとそっくりで、デカくはないけど硬いし、毎日突いてくれるから満足してると。






49歳で閉経し、いつもナマというのがいい。



私は来年30歳だし、お嫁さんを探したいと母に言ってます。






母も孫の顔見たいとは言うけど、こんなデブ誰も抱いてくれないから、月1回私を抱いてと言います。



アレしないと生きてられないと。






52歳、淫乱真っ盛り。



まったりしたフェラや、アナルまで体中舐め尽くす交尾に嵌まってます。