5年間の家庭生活は、妻と息子の事故★という形で幕が下りました。



最愛の妻は29歳、息子は2歳でこの世を去りました。






2人が出会ったのは私が25歳、妻が23歳の時でした。



妻は特に美人でも可愛いわけでもありませんが、純朴で優しい女性でした。



妻と出会って1ヶ月で深い関係になりました。



23歳の妻は既に処女ではありませんでしたが、私は気にしませんでした。



私も数名の女性と恋愛経験があったので、お互い様だと思いました。






妻の遺品を整理していたら、キャンパスノートに書かれた日記が出てきました。



一番古いものは妻が高1の日記でした。



私はいけないと思いましたが、読んでしまいました。



今は後悔しています。






高1の妻には片思いの7歳年上の従兄がいて、彼に対する切ない胸の内が綴られていました。



そして8月、お盆で親戚が集まった本家の納屋で、妻はその従兄に処女を奪われていました。



日記には、『痛かったけれど、彼を感じていたい気持ちが我慢をさせた・・・、彼の精液を顔中に浴びて嬉しかった』と書かれていました。






妻は初体験でいきなり顔射されていました。



しかもそれを嬉しいと。








この従兄は妻の葬儀で泣いていました。



この従兄に彼女が出来るまでの約2年、妻は毎週1~2回、この従兄に抱かれていたようでしたが、日記によれば、妻は従兄の好意で抱いてもらっていると感じていたようです。



でも、完全に性欲処理人形にされていただけだと思います。



ほとんどが下半身だけ脱いで前戯もそこそこに、そそくさと挿れて射精していたようです。



妻は“時間がないのに会ってくれている”と勘違いしていますが、この従兄、ただ出したいだけだったと思います。



純朴で素直な妻が不憫でした。






短大生の頃、妻はバイト先の社長のセフレでした。



45歳の社長に上手にいただかれていたようです。



日記には、『社長さんは、親が決めたので仕方なく奥さんと結婚させられて可哀相な人・・・。運命の人は私だったって言ってくれた。社長さんは、オチンチンを舐めてあげると子供のように喜ぶの・・・。私のアソコに社長さんのオチンチンが入ると良い気持ちになるの・・・』とありました。



妻は完全に不倫セフレとして父親のような親父に膣穴を蹂躙されていたようです。






『社長さんは、私のアソコにキュウリやゴボウを入れるのが好きみたい。ゴボウを奥まで入れられると内臓を掻き回されているようで・・・。トウモロコシだけは痛いので止めてと言ったけど、言えば言うほどグリグリされて・・・』






純朴な妻は見た目も田舎の女学生のようですから、社長の接待に使われていたようでした。






『私は可哀相な社長さんのために、セーラー服を着て知らないおじさんとセックスした・・・。今日は2人の知らないおじさんにロープで縛られて、お口とアソコだけでなく、お尻の穴にもオチンチンを入れられた。お父さんより年上のおじさんは、オチンチンを抜かないでアソコの中に精子を出した・・・」






短大2年の日記には、大変ショッキングなことが書かれていました。






『今日は大変なことになった。安全日だから3人のおじさんに連続中出しされたけど、その中の一人が父だった。お互い顔を合わせて固まったけど、あの状況では知らない素振りでSEXするしかなかった。私は父のオチンチンをしゃぶり、アソコに受け入れた。そして父の精子を子宮に注がれた。驚いたことに、3人の中で父が一番気持ちよかった。いいえ、今までの誰より父のオチンチンが一番感じた。もっと父が欲しくなった・・・』






妻は父親とも関係していました。



日記から、妻は短大時代に、社長の他に延べ50人とセックスしていることが分かりました。



同一人物もいるみたいなので、人数としては十数人でしょう。



妻は女子高校生を演じていたようでした。






『今日は母が同窓会で泊まり・・・、父と二人で気まずい。私はタオル一枚で父の布団に潜り込み・・・、やっぱり父に抱かれるのが一番気持ち良い。父が悲しむから社長さんとは別れよう・・・』






短大を卒業して、さすがに女子高校生には無理があるのか社長とは切れたようです。






『社長さんにはお子さんもいるので、私が身を引くしかない・・・』






妻は最後まで社長に愛されていると信じていたのでしょうか?



就職した妻は真面目に働いていたようですが、週1回程度、父親と関係していたようです。






『今日は、夕方父の車でラブホに行った。父の愛をたくさん感じた』






時々休暇を取って会うこともあったようだ。






『今日は父も私も休暇を取った。母にばれないように普通に出勤し、駅で父の車に乗った。いつもは夕方慌しい1時間くらいの逢瀬だけど、今日は時間がたっぷりあった。48歳の父が私のために頑張って、午前中、お昼、夕方の3回抱いてくれた・・・。アソコがヒリヒリしてるけど父は大丈夫かしら?今日はお父さんを取っちゃった。お母さんゴメンなさい・・・』






妻と父親のかなり親密な関係が書かれていました。



妻が23歳の時、日記に私が登場しました。






『なぜか彼のことを考えると胸が苦しい・・・。彼のオチンチンが私のアソコに入る夢を見た。父に話したら、“素直に気持ちを伝えなさい”と言われた・・・』






私は胸が熱くなりました。



父親のアドバイスで私に告白したことを知りました。



初めてデートした日の日記にはこう書かれていました。






『彼のオチンチンはどんなだろう?早く彼のオチンチンを挿れてみたい・・・』






あの時、妻がこんなことを考えていたとは知りませんでした。



でも、妻から求められたことは一度もありませんでしたから、純情な女とばかり思っていました。






初めて妻を抱いた日の日記では・・・。






『彼のオチンチンは父のオチンチンと同じくらい良い気持ちにさせてくれた。彼のお嫁さんになって、毎日あのオチンチンを挿れられたい。そして、父を母に返さなければ・・・』






妻は願いを叶えたのだ。



でも、純朴で無垢そうな外見の優しい妻が、何人ものオヤジ達の浮気膣穴下僕にされていただけでなく、実の父親とも関係していたのはショックでした。



しかし、更なるショックが私を震えさせました。






妻が、「そろそろ子供が欲しいわ」と言っていた頃の日記です。






『今日、父の精子を子宮で受けてしまった・・・。今日は妊娠する可能性が高かったのに、あまりの気持ち良さに父にしがみついてしまったので父が外に射精できなかった・・・。彼が帰ってきたら彼にも中出ししてもらわなければ・・・』






私は、1週間の研修を終えて帰って早々、妻にせがまれて何度も中出ししたのを思い出した。



つまり、私の精子より義父の精子が先に受精している可能性が高いのです。



という事は、亡くなった息子は妻と義父の子という事になります。



義父は、息子が生まれて半年後に倒れて、そのまま亡くなりました。



その時の妻は、そういえば息子を抱き締め、「お父さん」と言って嗚咽していました。



義父の一周忌の日記です。






『息子には亡くなった父の面影があって切ない・・・愛する彼の子供も欲しい・・・』






私は妻の部屋で泣き崩れました。






「あなたも見てしまいましたか・・・」






義母でした。



義母も泣いていました。






「私は、あの子が就職した頃からおかしいと感じていたんです。あの子が夫を見る目がオンナなんですもの・・・。女は、一度子宮を撫でられると変わるものよ・・・」






私は義母を押し倒し、襲ってしまいました。



義母は51歳ですが、未亡人となって飢えていたのか無抵抗で、「私のようなおばちゃんで役に立つのなら・・・どうぞお使いください・・・」と言いました。






亡くなった妻より肉付きも良く、柔らかな抱き心地の義母を犯しました。



義母の使い古されたアソコをチンポで掻き回すと、未亡人の義母は久しぶりの快感に大声で喘ぎました。



私は義母の子宮に大量に射精しました。






私は、この事実を知っても、妻を愛していましたから、純朴な女のまま眠らせてやる為に、日記を全て燃やしました。



そして四十九日には、義父の眠る墓に妻と息子を納骨しました。






今、妻の妹と再婚しています。



実はあの後も義母と身体の関係を続けていましたが、妻の三回忌の段取りの頃、義妹に義母との濡れ場を目撃されてしまいました。



義妹は、「私の憧れてたお義兄さんを取った」と義母に詰め寄り、その場で再婚話に発展したのです。






私は義妹との結婚に、義母との関係の継続を条件に出しました。



義母はセックスライフの復活で生き生きしていましたので、それを取り上げるのが可哀想でした。



義妹は承諾してくれて、結婚を前提に交際しました。



義妹は妻に輪を掛けたような純朴キャラで、私に初めて抱かれた27歳の冬が処女喪失でした。



姉と対照的で、見た目通りの純真無垢でした。






今、私は41歳になりました。



再婚して7年、元義妹の妻は35歳、5歳の娘と2歳の息子、そして、今でも月に2~3回SEXのお相手をしている義母は61歳になっています。



妻の実家で、5人仲良く暮らしています。