中国鉄道部が重視していたのはおよそ「人命、安全」などではなく、己の懐の肥やし方であることを物語るエピソードがある。鉄道部の予算をほしいままにし、巨万の富を築いた男と女がいるのだ。
筆者は上海で、ある人物を紹介してもらう手はずになっていた。その人物とは中国でも有数の「セレブ」で、まるで絵に描いたかのような中国成功物語の主人公だった。友人Wは今度一緒に食事をしようと言い、筆者も彼女との対面に興味津々だった。
彼女の名前は丁書苗。山西省出身の56歳だ。ルイヴィトンのモノグラムのハンドバック大中小を大きい順に腕からぶら下げ、腕にはダイヤの時計、首にはエルメスのスカーフを巻き付けと、まさに「そのまんま」。典型的な“成金好み”が彼女の定番だ。
今でこそギンギラの成金だが、彼女の“改革開放の歴史”は70年代の「村のタマゴ売り」から始まった。80年代はトラックや貨車からこぼれ落ちた石炭を拾い生計を立て、そこから石炭運輸業へと乗り出す。2000年には共産党中央のお膝元・北京に進出し、手広く、そして深く“中央”に食い込むようにしてその事業を展開した。
真っ黒になった山西省の幹線道路で、そのこぼれた石炭を拾い集める姿は想像するに難くない。私と友人Wは彼女を勝手に“石炭おばさん”と呼んでいた。
友人Wはさらに丁書苗をこう描写する。
「とにかく、やることなすことブッ飛んでる。バッグにはいつも現金がびっしり。50万元(約600万円、1元=約12元として)ぐらいは入ってるの。四川大地震では1億元超を寄付したことで有名になった。女性の生理用ナプキンも現地に送ったわ、十両編成の車両にびっしりナプキンを積載してね」
「気に入った人には大盤振る舞いって感じで、『今度、マンションあげる』なんて平気で言うのよ。自分で開発したホテルもある。その豪華さにはもう圧倒されちゃった。そこで牛乳風呂に入れてもらったり、中国の名うての女優が集まるサウナに入ったりした。でも、客室内がとても熱いのが玉に瑕だったわね、やっぱり石炭焚きすぎなのかしら」
しかしこの“石炭拾いから始まったエルメスおばさん”は忽然と姿を消す。友人Wは「紹介してあげるって言った石炭おばさん、捕まっちゃった!」と伝えてきた。取り調べの対象になったのだ。友人Wは「まさか彼女にそんな嫌疑があろうとは…」と呆気にとられた。
丁書苗の絢爛豪華な生活と今回の中国高速鉄道事故とは、実は無関係ではない。そもそも丁書苗がこれほどの成金になったのは、中国鉄道部に“金脈”を掘り当てたからである。前鉄道相の劉志軍とはただならぬ関係にあったのだ。
かつて中国の鉄道事業における生○与奪を握っていたのはこの劉志軍で、中国鉄道の高速化、“高速発展”をぶち上げた張本人だとも言われている。敷設計画もさることながら、車両速度についても猛スピードを追求した。日本との新幹線の積極交渉を展開したのも劉志軍である。当時、彼は日本の新幹線を高く評価していた。
高速鉄道計画は3000億ドルの予算をつけ世界最大級のものとなり、2015年には総延長1万6000キロに達する予定だ。スローガンは「世界一」、中国政府は鉄道プロジェクトを科学技術の高速発展の旗印に据えていた。
ちなみに、この劉志軍は湖北省の寒村の出身で、学歴は中学卒とも言われている。19歳で道路建設の作業現場に入るが、50歳にして鉄道部を牛耳るように。彼は“腐敗の権化”とも言われ、権力を手にすると周囲を弟をはじめ親族で固めた。しかし弟は06年、○人と収賄など複数の容疑で○刑となる。ところが兄の劉志軍は何の影響も被らなかったことに、当時国民は首をかしげたものだった。
劉志軍のやり方の本質は、毛沢東が唱えた、数年間で米英を追い越そうとする「大躍進」と全く変わらなかった。“世界一”のプレッシャーに内心焦る鉄道部について、中国の多くのメディアが次のように伝えている。
「時速300キロの高速鉄道技術を外国から買ったものの、それを時速350?380キロに改良し、十分な運行試験がなされぬまま量産に持ち込んだ。和諧号CRH380の原型は日本の新幹線とドイツのICE3だが、川崎重工とシーメンスは鉄道部との契約時に『最高時速は300キロまでしか出せない。中国が自分で改造し350、380キロに上げ仮に事故が起こっても我々は責任を負わない』と念押ししている」
劉志軍の暴走を危惧する声もあった。かつて鉄道部高官を務めていた人物は、6月末から北京?上海間の高速鉄道開通を目前に、現地紙にこうコメントしていた。
「劉志軍の行為は国際世論の批判にさらされ、その一方で国としての使命を背負わされていた。中国国民も世界一でなければ納得しなかった。そのため、時速380キロの高速鉄道を研究し、研究後1、2年でそれを量産と、十分な試験期間もないままに達成しなければならなかった。中国の専門家も『彼は狂っている』と警戒していた」
一方で、丁書苗は高速鉄道が東から西へ、また北から南に延長するその勢いに乗り、鉄道関連のプロジェクトを次から次へと受注していく。
彼女が買収し06年に設立した金漢徳環保設備有限公司は、高速鉄道の線路脇に設置する防音壁のメーカー。買収前の営業収入は0元で、しかも負債が6万元近くあったが、彼女が買収すると業績は一変。北京?天津高速鉄道のプロジェクトを落札し、年間売り上げは一気に9400万元にまで増えた。中国メディアは「07年比で3300%の増収」と伝えた。
同じく北京に設立した鉄道設備会社である博宥集団の資本金も増えていく。「もともと5000万元の資本金が、数年で数百万元に引き上げられた」ともいわれる。
内幕を暴くブログもある。「彼ら2人は互いにうまく利用しあい、劉志軍は自分の利権を使って丁を儲けさせ、丁書苗は劉志軍が“仕事しやすい環境作り”に励んだ」と言うのだ。たとえば、「世界トップクラブ」を名乗る「英才会所」というサロンもそのひとつだ。ここにはフランスやポルトガルほか各国の元首らが訪れていると言うが、恐らく国内外の人脈作りのために作られたものだろう。
ちなみに、丁書苗から劉志軍の手に渡ったバックマージンは、8億元(中国国内紙「経済観察報」)とも、20億元(香港紙「明報」)とも言われている。
しかし今年2月、劉志軍は“規律違反”の疑いで突然免職となる。ついに表舞台から引きずり下ろされたのだ。
在任期間中、彼は青海省とチベット自治区を結ぶ青蔵鉄道など多数の高速鉄道を完成させてきた。しかし、これら高速鉄道はすでに各地で事故が起こっている。武漢?広州間で、あるいは北京?瀋陽間で列車が故障し停止する事故が頻発しているのだ。太原?石家では開通後2年も経つもののトラブル続きだ。しかしこれらは「些細なこと」として闇に葬り去られてきた。
劉志軍の後任となった盛光祖のもとには、劉の罷免直後「とにかく速度は下げるべきだ」との陳情が入るようになったとも言われている。
中国の鉄道が高速化したところで、誰にどんな利益があるのか――。「当の利用者である国民は乗車券が高すぎて買えない上に、国家予算を浪費しただけ」、そんな厳しい世論が鉄道部に向けられている。結局その利益に浴したのは、官僚とそれに群がる“石炭おばさん”のようなハイエナたちだけだといっても過言ではない。国家予算を食い物にする彼らの頭に、「安全」の二文字など存在しなかったことだけは明白だろう。
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