私は、東北の田舎町の45歳の役場職員です。
現在は、39歳の妻と今年高校生になる娘と、今年中学生になる息子と4人暮らしです。
私は、親子姉弟での性交が禁忌される事だと知らずにいました。
なぜなら、私の初体験は小5、相手は母でした。
因みに、同じ日に3歳年上の姉が父と初体験しています。
11歳の少年と40歳の母、14歳の少女と43歳の父、同じ部屋で性を交えました。
姉の痛がる声と、射精することなく勃起を続けた私の男根が、翌日赤くなってヒリヒリしたこと、今でもはっきり覚えています。
私は、幼稚園に入るまで両親と寝ていましたが、両親は、私の横で平気で夫婦の営みをしていました。
私が目覚めてその様子を見ていても、気にすることなく抱き合い、愛し合っていました。
いつもの両親と違う、非日常の世界だとは感じていましたが、生まれてからずっとその環境にいたので不思議ではありませんでした。
私が幼稚園に行くようになると姉と同じ子供部屋になり、姉と一緒に寝ていました。
姉が中学に入り、私が小4になった頃、姉の女陰を舐めたり、姉に男根を舐められたり、両親がしていたような事を真似るようになりました。
私が小5、姉が中2の夏、父が私に、
母は好きか?姉は好きか?
と尋ね、母は姉に、
父は好きか?弟は好きか?
と尋ねました。
私達家族はとても仲が良く、大好きでしたから答えは当然「大好き」でした。
すると、大好きな男と女は性交するものだと教えられ、両親はお互い大好きだから性交しているのだと言われました。
そして、父と姉、母と私が性交に及んだのでした。
父の真似をして母をクンニした私、母の真似をして私をフェラした姉、そして・・・
「いいか、結婚していない男女はセックスするときは必ずコンドームをしなければならない。わかったな。」
両親は、親子姉弟が性交を禁忌しているとは言いませんでしたが、子孫を残してはならないと言いたかったのでしょう。
倒錯した親子姦は、私が中学に入るまで行われました。
中学に入ると、私と姉の姉弟姦が始まりました。
高1の姉を抱く中1の私、母に教え込まれた腰使いで、高1少女を悦ばす中1の少年・・・高1少女の色っぽい喘ぎ声・・・
倒錯した世界だとは全く思わず、姉を愛し、母を愛し、私は性交の虜になっていました。
毎日、母か姉を抱く日々・・・
近親者がお互いの肉体に溺れ、姦淫に耽ることは法に触れるわけではありません。
一般には常軌を逸した近親姦に疑問を感じず、若い性欲を肉親にぶつけて狂乱した日々・・・
母の黒ずんだ女陰は柔らかくうねり、姉のピンクの女陰はコリコリとキツク締め付けました。
私が高校受験生、姉が大学受験生の時、親戚の法事で両親が留守の晩、姉が、
「私、そろそろ生理なの。ねえ、お姉ちゃんの中に精子出してみない?」
「結婚していないとそれはしてはいけないって、言われたじゃん。」
「バカ、そもそも親子姉弟でセックスなんかしちゃダメなんだってば。」
「えっ?やっぱりそうなの?そうじゃないかと思っていたんだ、俺・・・」
でも、姉が足を広げて女陰を開けば、私の男根が我慢できずに脈を打ちました。
姉はひときわ大きな声でアンアン喘ぎ、私は、神をも恐れぬ実姉中出しをしたのです。
高3の姉の女陰から、トロトロと流れ出た私の精液・・・生性交中出しの快感があまりにも強烈で、私は、コンドームをせずにその日は3回戦をこなしました。
その後、私が遠方の大学へ進学して家を出るまで、私は毎日、母子姉弟姦を続けていました。
私は、大学で初めて血縁者以外との成功を経験しましたが、大学1年生ですでに性交歴8年でしたから、
私の彼女はみんな大満足していましたし、大学時代に初めて処女の女性と経験もしました。
そして、私が大学4年の時、姉の結婚が決まり、嫁ぐ前日の夜、姉は私と父の3Pで最後の近親姦をしました。
禁断の甘美な悦楽は、肉親の精液に彩られながら姉は何度も達していました。
「私、家族以外で初めて抱かれたのが、彼なんだ・・・」
姉がボソッと言いました。
姉が嫁いで以降、私が母を抱くこともなくなりました。
地元の役場に就職し、真面目に働く私は、高校を出たばかりの課長の娘さんに見初められて交際しました。
田舎くさい純朴少女でしたが、可愛い顔をした娘さんで、私は人生で2人目の処女を頂き、交際2年で結婚しました。
一女一男を儲け、まるで自分の子供の頃のような家族構成です。
今年高校生になる娘がいますが、私は娘を抱く気にはなれません。
そして今思うのは、人の道に外れた許されざる姦淫とは知らず姦淫していた姉弟を、私の両親はどんな思いで眺めたのかということです。
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