嫁とはお見合い結婚を3年ほど前にしました。
妻は海外専門のフリーのツアコンで、新婚早々から
「仕事が入ったから」
と言っては、数週間も平気で家を空けるしまつでした。
仕事のことは多少、結婚前に聞いてはいましたが、そんなに度々長期に渡って家を空けるとは思っていなかった私はかなり不満が溜まりました。
久しぶりに妻が家に戻ってきても、
「子供はまだ作りたくないから」
と言って、夜の生活もことごとく合わなくなって、口げんかもたえなくなり、さらにお互いに顔を合わせることもさけるようになりました。
これでは結婚した意味が無いと思って、私は離婚の準備を進めました。
ところが、そのことを知った妻の母親が、飛んできて平謝りで、
「娘には言って聞かせますから、なんとか仲直りして欲しいの」
と懇願してきたのです。
そして
「あの娘は本当に性格も悪い子じゃないし、仕事が好きなだけで、今が一番楽しいのかもしれないの…、これで離婚じゃ、あの娘が可哀そう…」
と、義母はときには涙ぐみながら離婚はしないで欲しいと懇願してきました。
義母はさらに
「娘の不行き届きは産み育てた私の責任ですから私が補います…。娘が仕事で家を空けている間は、家の片付けやら掃除、洗濯、食事の世話など一切の不便をかけないようにしますから…」
と泣きついてきました。
私は、
「もう、すでに、そんな問題ではありませんから…」
と断りました。
妻は24歳、義母は47歳で、私は29歳です。
そのとき妻は海外出張中でした。
私がキッパリと断ると義母はその場に泣き崩れてしまい、嗚咽がとまりませんでした。
困った私は
「お義母さん!…じゃあ、娘のかわりに何でもするって、本気で考えているんですか」
と語気を荒げて言いました。
義母は泣きながら、頭をうんうんと何度も縦にふりました。
自分の妻でもこれほど従属的な姿を見せたことはありませんでした。
その義母の姿を上から見下ろしていると、なんだか自分が支配者になったような気分になって、妙な興奮を覚えました。
誰もいない二人だけの閉ざされた部屋の中で私もまともな思考ができなくなっていたのかもしれません。
すぐに、頭の中にいやらしい妄想が駆け巡りました。
「じゃあ…今夜、ここに泊まってもらえますね。」
と私は義母に言いました。
義母は一瞬、頭を上げて私のほうを見ましたが、私のあまりにも一方的な強い言い方に、拒むこともできず
「え、ええ…」
と一言だけ答えて、思いつめたようにしばらく俯いたままになりました。
やがて夕食になり、私は、義母にお酌をさせました。
お互いに口数も無く、ぎこちない雰囲気でした。
私は黙って酒を飲みながら、向かい合っている義母の顔をまじまじと見て、
今から妻の母親であるこの女とセックスをするのかと思うと股間がズキンッ、ズキンッ、ズキンッ、と心臓の鼓動に合わせて大きく膨らんで行くのが分かりました。
(お義母さんは47歳か…義父は10年前に亡くなっているから、それ以来ずっとアソコは使っていないはず…アソコを舐めたら…どんな声を出すのかな…そうだ以前、妻が
「母はもう生理は上がっているの…」
と言っていたから…今夜は生の中出しだぁ…)と本人を前にして、心でいやらしい事を思いながら飲む酒は実に旨いものでした。
義母の顔は普通で、別に美人ではありません。
体型はどちらかというとぽっちゃり型で胸は大きく、下腹もポッコリと出ています。
ただ服のセンスが良くて、いつも身奇麗にしているせいか気品と色気があって、年齢の割には若く見えます。
ちょっと見は松坂慶子のような感じで、まだまだ女の色気を十分に感じさせてくれます。
義母は夕食を済ませると、風呂へ入り、そのまま寝室へ行きました。
私もそのあと追うようにシャワーを使い、義母の待つ寝室へと向かいました。
寝室に入ると、義母は緊張しているせいか無表情で、
「電気を消して…」
と恥ずかしそうに言うので、私は豆電球の灯りにしました。
義母は白いバスローブを着たままベッドに仰向けになり、私は着ていたバスローブを脱いで義母の隣に横になりました。
義母は片手で目を隠してしてじっとしていました。
気まずい雰囲気のなかで、しばらく沈黙が続きました。
私はたまなくなって、義母のバスローブに手を伸ばして義母を裸にすると、その白く豊かな乳房に喰らいつきました。
義母は一瞬ビクンとしましたが、そのまま私のなすがままにじっとしていました。
私が義母の唇を求めると、義母は顔を反対にそむけて、キスを許そうとしませんでした。
おそらく義母は自分のプライドと娘への気遣いで、たとえ性の生贄になっても、気はイカないように耐えるつもりなんだろうと思いました。
私は、初めて経験する自分の母親と同じ年代の熟女とのセックスに異常なほどの興奮を覚え、この肉体を味わって性的な欲求を満たしさえすれば良いと思っていました。
私は首筋から胸へと、舌を這わせ、妻よりも豊かな乳房を片手で揉みしだきながら、黒ずんだ乳首を吸い出しました。
義母は、時々、
「あっ…」
と、かすかな声を洩らしましたが、けっして感じているそぶりは見せませんでした。
その割に、義母の濃い陰毛を撫でながら、割れ目を探ってみると、そこは結構濡れていました。
私が膣穴に指を入れようとする、義母が反射的にサッと脚を閉じました。
本能的な動きだったのかもしれませんが、私はその時、一瞬(ここまできて、生娘じゃあるまいし…、
今までに何百回とやってきたろうに…、なにをカッコつけてるんだ…)と心の中で忌々しく思いました。
義母の支配権は私にあるのだということ思い知らせるように、私は少し荒っぽく、義母の脚をこじ開け、
必要以上に大きく開かせて、膣穴に無造作に指を突っ込み、穴の位置を確認すると、いきなりズブリっと挿入しました。
エム字にした義母の太ももを両手で押さえて腰を入れてピストンをすると、義母は
「あぁっ」
という小さな声を洩らしましたがすぐに唇を噛んでイキそうになるのを必★で耐えていました。
私は義母が娼婦のようにガマンしている表情を楽しみながら、ピストンのスピードをあげて5分もしないうちに、義母の膣穴の奥深く目がけて、ドロリとした白い液体をたくさん放出しました。
射精を終えた後、私は、もう一発しようという気にもならず、満足を果たしたペニスを抜き去ると、しばらくそのまま仰向けで呼吸を整えていました。
義母は役目を終えた娼婦のように、あっさりと体を起こし、ティッシュで自分のアソコから流れ出る白い液体を拭き、私のペニスも拭いてくれました。
義母としては、そこまでがワンセットの奉仕だと思っていたのでしょう。
その日からは毎晩、妻が帰国するまでの間は、義母とセックスしました。
毎晩、義母とセックスを重ねても、寝室での義母の反応は変わりませんでした。
私が寝室に入ると、初めての晩と同じように、電気を消してベッドに横たわり、片手で目を隠して体を曝け出すだけです。
そして、私がどんなに激しく責めても義母は私の体にしがみつくこともなく、自分がイキそうになるのを唇を噛んで必★で耐えていました。
そんなわけで、ほとんど正常位でしたから、いつか無理に後背位を取らせて突きまくったことがあります。
その時は、私が義母の両足首を掴んで、無理に裏返しにするのです。
すると義母は転がるようにうつ伏せになり、四つん這いになるように腰を持ちあげて、尻を突き出させました。
そのときは、私は奴隷女を権力で支配している悪いヤツみたいな気分になって興奮して突きまくりました。
その後、妻の帰国と同時に義母は実家へ戻りましたが、当然のことながら、次の妻の出張のときには、向こうからやってきました。
最初は、義母にもプライドがあったのか、お義理のセックスを装っていましたが、やはり女の体はそれをがまんできないのか、ある晩を境に、ついにその本性を現しました。
今では、以前とは違って、義母のほうからフェラチオもやれば、アナルセックスも持ちかけてくるほどの、すごい変貌ぶりで、ケダモノのようなヨガリ声を上げてイキまくっています。
あれほど、妻の出張に不満をもっていた私も
「つぎの出張は、まだ?」
と待ち遠しくなるほど変わってしまいました。
義母は
「生きているうちに、もっといろんな気持ち良いことを試したい」
と言って、アダルトグッズのコレクションに凝り始めています。
そんな義母に向かって、最初の晩のことを私がひやかすと、義母は
「もうあのことはいわないで…」
とかわいくはにかみます。
まだ、しばらくは、妻の母親との不倫な関係は終わらせたくありません。
もっと、この素晴らしい熟女の肉体をもてあそんでいたいと思っています。
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