
階段道を下りきりました。
いま下り立ったこの川べりのお風呂が男湯です。
そして、あっちに見える古びた木戸の向こうが女湯の入口でした。
山の谷間の素晴らしい景色が目の前に広がっています。
渓流のせせらぎと遠くの鳥の声が、私たちを迎え入れてくれていました。
「すごく素敵」
ロケーションに感激しているふりをします。
「いいところですねえ・・・」
野天風呂ならではの開放感に、「これなら誰かに見られたって気にならないでしょ?」と、まゆげさんがわざとらしく私のことをからかってきました。
「やめてくださいよ」
もちろん相手に悪気がないことぐらいわかります。
でも、私は・・・。
(この人、セクハラするタイプだな)
このおじさんの本性を垣間見たような気がしました。
「あなた、スタイルもすらっとしてるもんね」
ムキになった口調で、「そういうの本当にやめてください」と、あからさまに嫌そうな顔をします。
そのうえで、「私、泣いちゃいますよ」と拗ねた子どものように口を尖らせて、ふたりの笑いを誘いました。
「ごめんごめん」
「冗談ですよ」
おじさんたちが、にこにこ見ています。
「でも、来てよかったぁ。こんな素敵な温泉、初めてです」
景色に目を奪われているふりをしながら、しみじみとつぶやいてみせました。
「それじゃあ、どうも」
にこやかに会釈を交わして、ふたりから離れます。
自分だけ男湯スペースの真ん中を突っ切っていきました。
木戸を開けて、ひとりで中に入ります。
石垣のような部分を折り返すと、そこが女湯でした。
私以外には誰もいません。
(また来ちゃったよ)
岩場の真ん中に湯だまりがあるだけの、こじんまりした空間でした。
正面に見える渓流が、キラキラと太陽を反射しています。
何もかもが、昔のままでした。
(変わらないなあ)
手近な岩の上に、トートバッグを置きます。
外からの目隠しになるよう、左右に立てかけられている『すだれ』も以前のままでした。
「今日も貸し切りだぞ、貸し切り」
「最高だな、ここは」
男湯との間をさえぎる大きな岩山の向こうから、まゆげさんの喚く声が聞こえてきます。
感慨に浸っている時間はありませんでした。
スニーカーを脱いで、裸足になります。
片方のすだれに歩み寄りました。
何もしなくても、もともと古くて隙間だらけになっているようなすだれです。
適当な位置で、竹束(?)のあいだに指を突っ込みました。
ところどころ上下に偏らせて、いくつか自然な感じの『覗き穴』を作っておきます。
日差しの向きも、確認済みでした。
(これなら言うことない)
この野天風呂は、川べりの地面から1.5mぐらいの高さのところにあります。
野天スペースのへりにあたる部分はコンクリートで出来ていて、それがそのまま護岸のような感じの造りになっていました。
たいした高さではありませんから、その気になれば簡単に下におりることが出来ます。
地面に接している土台みたいな幅のところは、そのまま男湯の方まで繋がっていました。
どきどきどき・・・。
もちろん、すべては承知のうえです。
舞台は完璧に整っていました。
気持ちに勢いがあるうちじゃないと・・・。
たちまち躊躇いが生じて足がすくんでしまうことを、誰よりも私自身がよく知っています。
(よし、やろう)
“ガタッ”
裸足のまま再び木戸を開けて、男湯スペースに戻りました。
おじさんたちの目が、『ぱっ』とこちらに向きます。
「あの・・・、ちょっと伺いたいんですけど」
ふたりとも、すでにお湯に浸かっていました。
持ち込んだらしい缶ビールを開けて、もう乾杯していた様子です。
「こういうところって、シャンプーとか石鹸とかはダメなんですよね?」
当たり前のことを尋ねながら、端っこのコンクリート部分に歩み寄りました。
ちょっと身を乗り出すようにして・・・。
女湯のほうを『さりげなく』確認している姿を、ふたりに印象づけます。
「まあねえ」
「洗い場とか無いからねぇ」
2本目の缶ビールを取ろうと、まゆげさんがお湯の中から立ち上がりました。
ぼろんとぶら下がったおちんちんが、丸見えになります。
「きゃっ」
とっさに演技していました。
あたふたした素振りで・・・。
「ちょっと、ちょっと見えてますから」
目のやり場に困ったかのように、両手で自分の顔を覆ってみせます。
「ちゃんと隠してくださいよう」
そんな私の様子を面白がるように、「えっ、なに?」と、わざとらしくぶらぶらさせたままでいる、まゆげのおじさん・・・。
「ちょっとお」
おそらく本当に顔が真っ赤になっていたはずでした。
鷲鼻さんも、そんな私を見て笑っています。
恥ずかしそうに、「もぉお、ヤぁだぁ」と、そのまま女湯のほうへと踵を返してみせました。
木戸を入って、中からきちんと閉めます。
完璧でした。
内心、興奮を抑えられません。
あんなふうにからかわれることになるとは思っていませんでしたが・・・。
(いいぞ、いいぞ)
むしろ100点満点の展開でした。
その場に留まったまま、戸の隙間からおじさんたちを覗きます。
ふたりとも、愉快そうに笑っているのが見えました。
声までは届いてきませんが・・・。
(なんか言ってる)
私には、その会話の内容がはっきりと聞こえてくるかのようです。
『あんなキレイな子に、◯◯◯◯見られちゃったよ!』
『見たかよ、あの子真っ赤になってたぞ!!』
(にやにやしちゃって)
それとは対照的に、私の演じている『この女』の、なんて真面目なことか・・・。
(これぐらいテンションを上げさせてやらないと、『覗き』までしようって気が起こるはずない)
それが、私の読みでした。
いつでも動き出せるように、その場でぱぱっと全裸になってしまいます。
本当に悪い人間は、この『私』でした。
あのふたりのことを・・・。
(すっかり騙されてる)
最初から利用する相手としか見なしていなかったのですから。
脱いだ服を腕の中に抱えて・・・。
(どきどきどき)
そのまま木戸の隙間から男湯のふたりの様子を覗き続けました。
(気づけ・・・気づけ・・・)
美味しそうにビールを飲みながら、楽しそうにげらげら笑っています。
その直後には・・・。
(よしっ)
まゆげさんが、男湯スペースの端っこに立っていました。
さっき私が気にしてみせていた方に向かって、上半身を乗り出すようにしています。
(どきどきどき)
例の『すだれ』が目に入ったはずでした。
それが目隠しになって、もちろん女湯スペースそのものは見えません。
でも、気づいたはず。
下の土台におりてしまえば・・・。
そのすだれの前までは、わりと簡単に行けてしまうことを・・・。
(どきどきどき)
まゆげさんが振り向いて声をかけています。
鷲鼻さんもお湯から出ました。
コンクリート部分に並んでそちらに目をやっています。
一瞬の間がありました。
ふたりで何やら囁き合っている感じです。
(おりろ・・・おりろ・・・)
まさにここが分かれ道でした。
心の中で、(下におりろ・・・)と一生懸命おじさんたちに念(?)を送ります。
(あっ、あ・・・)
まゆげさんが、足もとに両手をつくのが見えました。
太ったからだを反転させるようにして、のっそりと下の土台部分におりようとしています。
(あああっ、来る・・・)
鷲鼻さんもいっしょでした。
まゆげさんの隣で、同じように後に続こうとしています。
そこまで見届けて・・・。
(イヤぁっ、イヤっ・・・)
私のテンションは最高潮に達しようとしていました。
(覗きに来るっ)
急いで石垣を折り返します。
抱えていた服をトートの横に置いて、湯だまりに飛び込みました。
一転して今度は完全に矛盾した心情に、激しく胸を掻き毟られます。
(イヤっ、私・・・とても耐えられない)
肩までお湯に浸かったまま、正面の景色を『ぼーっ』と眺めました。
目の焦点をずらす感じにして、すだれを視界の片隅に入れます。
(いやん、来ちゃう。誰か助けて)
と同時に、すぐそこに浮かび上がった頭2つのシルエット・・・。
(あ・・・)
緊張しすぎて、喉まで心臓がせり上がってきそうでした。
(あ、ああ・・・)
すだれの裏に、おじさんたちがいます。
もともと隙間だらけの古いものでした。
あの人たちの背後から日差しが照りつけていますから、それとなくわかるのです。
(あああ・・・そこにいる・・・)
もちろん、こちら側からは一切見えてないふりをしました。
(恥ずかしい・・・恥ずかしいよ)
私との距離は3mとありません。
息苦しいほどの重圧に押しつぶされそうです。
(ああ、やっぱり私・・・無理かも・・・無理だ・・・)
覗いたおじさんたちも驚いたことでしょう。
さっきのあの子が、こんなにも『目の前』でお湯に浸かっているのです。
それほどの近さでした。
まさか、女湯スペースがこれほど狭いとは思ってもいなかったに違いありません。
(落ち着いて)
必★に自分に言い聞かせました。
(このために来たんでしょ?ちゃんと思いどおりになってるじゃない)
肩に入っていた力を抜きます。
大きく息を吐きますが、どうしてもプレッシャーをはねのけることができません。
(あああ、だめだ)
頭の中を空っぽにして、そこにいるふたりのことを意識の外に追い出しました。
(ああ、なんていい景色・・・)
遠くの山々を眺めながら、のんびりとお湯の気持ちよさを堪能しているふりをします。
(ああ、無理・・・)
5分ほどそうやっていたでしょうか。
やはり、以前のような感覚の私には戻ることができません。
(やっぱり無理)
熱さにのぼせていました。
ひとたびお湯から出ようものなら、どこにも隠れ場所などありません。
(この人たちに見られるなんて・・・私、恥ずかしくて耐えられない)
泣きそうになりました。
でも、もうのぼせて限界です。
(きゃあああ)
心の中で悲鳴をあげていました。
お湯の中から、ざばっと一度立ち上がって、そのまま湯だまりのふちに腰かけます。
(イヤあ、見ないで)
演技するしかありませんでした。
必★に自然体を装おうとしている私がいます。
(見ないでえ)
覗かせてやりました。
おっぱい丸出しのまま・・・。
何も知らずにくつろいでいる『この女』の幸せそうな姿を。
この人たちにとってこの子は、いかにも楚々とした、しとやか美人・・・。
男に見られているとも知らずに、ひとりっきりの時間を満喫しています。
(さっきまで面と向かってずっとしゃべっていた相手なのに)
屈辱感でいっぱいでした。
渓流の景色に目をやっているふりをする私・・・。
湯だまりのふちに腰かけたまま、すぐそこにいるのに彼らの前で乳首を隠すこともできません。
(私は悪くない。悪いのは、覗く人たちのほう)
懸命にそう思い込もうとしても・・・。
(やっぱり、恥ずかしい)
とてもじゃないですが、もう耐えられませんでした。
(なんで私が、こんな人たちのために)
再び“じゃぼん”と、お湯の中に体を沈めます。
(ひいいい)
まともにすだれの方を向くことが出来ませんでした。
おじさんたちには背を向ける形でお湯に浸かっています。
そして、(もう無理・・・もう無理・・・)と、はっきりと思い知らされていました。
(私はもう・・・昔みたいにはなれない)
それを完全に悟ってしまった今、私にもうこの場にいられるだけの気丈さはありません。
(助けて、誰かたすけて・・・恥ずかしいよ。もうイヤだ)
ふたりに顔を見られないようにしながら、涙ぐんでいました。
限界を感じて、自尊心が悲鳴をあげてしまっています。
(だれか助けて、わたし、何も着てないよう)
そして、ひたすらに己の愚かさを噛みしめていました。
悪いのは、おじさんたちじゃない・・・。
この状況を演出してしまったのは、他でもない私自身なのですから。
(こんなことして、馬鹿すぎる・・・)
帰ろうにも帰れませんでした。
お湯に浸かったまま、なるべく見られずに済みそうな方法を懸命に考えます。
のぼせたら、おじさんたちに背を向ける側で湯だまりの淵に腰かけて、ふたりが去ってくれるのを待ちながら、またお湯に浸かる・・・。
ただただ、その繰り返しで時間を稼いでいました。
地べたの割れ目から短い雑草が1本だけ伸びていて、小さい花を咲かせています。
その白い花の健気さを目にして、また涙ぐみそうになりました。
(私ってなんて弱いんだ・・・)
さっきからもう20分近くそのすだれの裏に張り付いているのです。
おじさんたちだって、とっくにくたびれているはずでした。
(戻ってください。お願い、もう男湯に戻って)
それなのに、一向にその場から離れてくれる気配のないふたり・・・。
(帰ってくれるわけがない、多少は見られても仕方ない)
半ば、諦めの境地でした。
だったらもう・・・。
のぼせ切ってしまう前に、はやく・・・帰ろう・・・。
“ざばっ”
立ち上がっていました。
湯だまりから出て、すっぽんぽんのままトートバッグを置いた岩に歩み寄ります。
(なるべく手早く体を拭いて、そうしたら、さっさと服を着て)
そう思ったのに、そう思ったのに・・・。
(イヤああ)
おじさんたちに大サービスしている、もうひとりの自分がいました。
その場で、すっと棒立ちになって見せています。
全身から湯気を立たせたまま・・・。
「う、ぅーん」
両方の腕を真上に突き上げながら、大きく伸びをしていました。
肩をぶるぶる震わせて・・・。
からだから、『ふうっ』と力を抜きます。
真っ裸のまま、あらためて景色に見とれているふりをしました。