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五十路になろうが、セックスしたい時だってある


















1237:うさちゃんねる@まとめ 2021/01/16(土) 00:00:00





昨年の話だが、野暮用で実家に数日滞在した折に、中〇時代の元カノに偶然再会した。



彼女は私より一学年上の先輩で、当時精通を迎えたばかりの私の童貞を奪った忘れえぬ女性だった。



あの頃から実に四十年近い歳月が過ぎ、五十路を迎えた元カノは初老の上品な婦人になっていたが、焼けぼっくいに火がつくとはまさにこのことか、私達は各々伴侶がいるにも拘らず、激情に促されるがまま車をホテルへと走らせてしまった。



妻相手に欲情しなくなり、男としての機能を終えたと思っていた男根が、精を吐き出したがっている。



十年以上も性交渉がないという元カノも、私と出会ったことで昔を思い出し、干からびた女陰に再び潤いを感じたのだという。



五十路になろうが、セックスしたい時だってある。



それが今なのだ。





私達は品の欠片もないラブホテルの一室に入るや否や、シャワーを浴びることさえ忘れて情熱的なキスを交わし、頭がくらくらするような陶酔感を味わいながらベッドに倒れ込んだ。



中〇生の頃は、いつも私が下だったが、あの頃とは違う。



私も人並みながら経験を積み重ね、自分の力で女性を悦ばせることが出来るようになった。



そして初めての相手に成長した姿を見せる時が来たのだ。



こんな何ものにも代え難い機会を得て、果たして燃えない男がいるだろうか。



私は身も心も溶かしてやるといった心持ちで元カノの全身を舐め回し、噴き出す汗も、溢れる淫汁も、漏れ出した小水させも嬉々として飲み込んだ。



彼女も私の熱意に応じるように、竿から玉まで愛おしげに何度も吸い、肛門すらも愛撫してくれた。



フェラチオの最中に私の男根は危うく精液を漏らしかけたが、こんなところで無駄撃ちするわけにはいかない。



五十路の今では中〇時代のような無尽蔵の性欲は残っておらず、子種は貴重品なのである。



私は一旦呼吸を整えてから、白く濁った淫汁を分泌している肉の穴に男根を添え、奥深くまで侵入させた。



なんと素晴らしい快感。



これが五十路の熟女の女陰なのか、と嘆息した。



処女のような、とまでは言わないまでも、まるで瑞々しい娘のような具合ではないか。



十年以上の男日照りによる筋力の衰えを、彼女は日々のエクササイズによってカバーしていたらしい。



初体験の記憶が鮮やかに蘇ってきた。



最早、私の腰は止まらなかった。



元カノが気をやるまで、それどころか強烈な快感に耐え切れず彼女の脳が意識をシャットダウンするまで、私は一心に腰を振り続けた。



そうして迎えた射精の瞬間。



その快楽を文章で表すのは不可能である。



行為後、私と元カノは連絡先を交換することなく、静かにキスをして別れた。



後ろ髪を引かれる思いは言うまでもなくあったが、ずるずると付き合えば格好がつかなくなってしまう。



初老の恋愛とはそういうものなのである。







        


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