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友達のお母さんに童貞を奪われた瞬間の、あの温かさと重み


















1577:うさちゃんねる@まとめ 2021/05/09(日) 12:00:00





ここだけの話ですが、僕の初体験の相手は友達のお母さんでした。



当時35、6歳だったと思います。



口元のほくろといい服を着ていても目立つ巨乳といい、なんて色っぽいんだろう…と子供心にも思ってしまう女性で、同じ女でもクラスの女子とは全く別の生き物だと当時は認識していました。



友達のお母さんの名前は仮にユミコさんとしておきます。



僕の当時の年齢は…内緒にしておきます。





発端は、友達の家でエロ動画を見せてもらっているところを、折悪しくユミコさんに目撃されてしまったことでした。



現場を完璧に押さえられてしまいましたから言い逃れしようがなく、友達はユミコさんに散々お説教され、僕は逆に「変なもの見せちゃってごめんね」と謝られました。



確かに僕の方から「見せて」と頼んだわけではなく、友達が「本物のエロを教えてやる」と半ば強引に誘ってきてそれに乗っかったわけですが、楽しんでいたのは間違いないので謝られると複雑な気分になりました。



しっかり勃起していましたし…。



その日、僕は薄手のズボンを履いていたので、前屈みになったり手で股間を覆ったりでもしない限り隠しようがありませんでした。



でも露骨にそんなことをすれば「僕は勃起しています」とわざわざ宣言しているようなものなので、仕方なく何もせず放置。



股間はずっとピンピンです。



ユミコさんは僕が勃起していることに気付くと、何やら責任を感じてしまったようです。



生真面目な教育ママでしたから、きっと僕が下品なエロ動画を見せられた影響で、性行為が汚らわしい行為なのだと誤解することを危惧したんでしょう。



翌々日、おばさんが直々に本当の性行為について教えてくれることになりました。



学校の授業が終わって友達は塾に出かけていて、家に他に誰もいない時間帯でした。



あの日に受けた衝撃たるや忘れられません。



僕は怒られるんじゃないかと思って憂鬱な気分で友達の家のインターホンを鳴らしたのに、性行為を実践学習することになったんですから…。



国語や算数とはわけが違います。



僕はユミコさんの部屋のベッド(夫婦の寝室は別々だったようです)で、小手調べのように男女の自慰の仕方を教わりました。



男の自慰をぎこちなく実践したのはもちろん僕で、女の自慰は下半身裸になったユミコさんが見せてくれました。



エロ動画でモザイクが掛かっていた部分を初めて直視して、内臓みたいでちょっと気持ち悪い…と思ったことを覚えています。



しばらくして、僕は落ち着かない気分で勃起したまま「トイレに行っていいですか?」と彼女に訊きました。



出したい衝動があったんです。



時期的にもう射精について習っていたはずですが、実際に射精したことはありませんでしたから、僕のペ〇スから出るものはおし〇こしかないと思っていました。



するとユミコさんは小さなサイズの半透明のゴム(コンドームなんて当時は知りません)をペ〇スにそっと被せてきて、そこに穴の位置を合わせて跨ってきました。



ペ〇スがユミコさんの中に完全に入って見えなくなりました。



「これが性行為。こうやって女の人の中に精子を出すと、赤ちゃんができるんだよ。わかった?」



わかったかと訊かれて、どこに入ったのかすらよくわかっていなかったくせに頷く僕。



それを見て、彼女は腰を上げて股間をティッシュで拭き、下着とスカートを順に着用しました。



早くトイレに行きたいな…と勃起したまま待機していたら、ユミコさんは何も言わずさっき付けたばかりのゴムを外して、僕のペ〇スを親指と人差し指で挟んで扱きました。



「あっあっあっ!?」



今までに味わったことのない快感の電流が背筋を駆け抜け、僕は悲鳴のような声を上げました。



ペ〇スが独りでにビクンビクンと跳ねています。



じわっと半透明の液体が滲み出てくるところを、僕はまばたきもせずに見て言葉を失いました。



一応、これが精通ということになるのでしょうか。



快感があまりにも強すぎたせいで、この後ユミコさんに何と言われてどうやって家に帰ったかよく覚えていません。



その一方でユミコさんと繋がったという事実、友達のお母さんに童貞を奪われた瞬間の、あの温かさと重みは一生忘れないと思います。



余談ですが、同級生の女子とまともな性行為をしたのは初体験・精通から3年経ってからでした。







        


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